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無事帰国。


観光も終わり、すでにバスの中。


上海を後にし、空港に向かいます。高速道路からは上海リニアモーターカーの線路も見えました。走っているところは見られませんでしたが…。

そして順調に空港に到着…と思ったら空港で思わぬトラブル。日食観光客が大挙して空港におしかけたせいか、チェックインのシステムがダウンしたらしく、長蛇の列。この状態で飛行機は飛ぶのか? とちょっと不安。


復旧の見通しがわからない中、私たちの団体は添乗員さんやガイドさんたちが上手く話をつけて団体窓口を利用させてくれたので、一般カウンターよりは早くチェックイン手続きが進みました。

ようやくチェックインが終わり、4日間お世話になったガイドの姚さんとはここでお別れ。その後税関とか出国審査とかセキュリティチェックとかあったのですが、かなり混雑していたせいか、かなりいい加減だったように思えたのは気のせいか?

結局、搭乗時刻が30分延長になってしまいました。でも比較的早くチェックインできた方なので結構時間が余ってしまい、免税店を徘徊。うまいこと手持ちの人民元を消化できました。


出発は遅れたものの、その後は順調で離陸後、機内食が夕食。上海から中部新国際空港までは3時間弱ですが、機内食を食べた後は記憶なし…。隣がたまたま空席で話し相手もいなかったし、何だかんだでさすがに疲れていたか? いつの間にか着陸寸前でした(汗)。

当初セントレア到着は21時10分ということでしたが、出発が30分遅れたので、荷物を受け取った頃には既に22時頃になってしまいました。その日に帰るには22時発の静岡行きのバスがあるんですが、こういうトラブルも想定してホテルをとっておいたので結果的に助かりました。バスで帰る予定だったら、あるいは翌朝なにか用事があったら気が気じゃなかったと思います。

最後に。一人での海外旅行だったし、海外渡航そのものも15年ぶりだったのでとても不安でしたが、4日間気を配って下さった添乗員のT村さん、現地ガイドの姚さん、本当にお世話になりありがとうございました! それから忘れてはなりませんが、毎日(少し荒っぽいですが)安全に目的にへ送り届けてくれたバスの運転手、王さんにも感謝です。

天候不順や現地当局の混乱など、いろいろ思いがけない悪条件もありましたが、H交通社の添乗員さんやガイドさん、現地ツアーデスクの判断・連携がよく、(日食が見られなかったのは残念ですが)心に残る旅ができました! 正直言って最初は日食以外は期待してなかったけれど、終わってみればいい思い出になりました。

それから、初対面なのに食事中や観光地にて、気軽に話しかけてくれたり写真を撮ってくれたりと、ツアーの同じグループの皆さんのおかげで孤独感なく、とても楽しい旅行になりました!あらためて御礼申し上げます。m(_ _)m

(完)

豫園


最後の観光地、豫園(よえん、ユーユェン)。豫園周辺の街並みですが、商店が立ち並んでいます。上海ヒルズやジンマオ・ビルからもほど近い場所にあります。本来は2日目に来るはずでした。大雨だったので添乗員さんたちの判断で最終日と日程を入れ替えたんですが、見事に的中しました。


豫園周辺の一大商店街は豫園商城と言います。人が多くとてもにぎやか!
でもよく見るとちょっと怪しいキャラクターものとか売ってたりします…。


ここは豫園入口の前にある蓮の池。ピンク色の橋は九曲橋というくらいだから多分9回曲がっているんでしょう。数えてはいませんが…。


橋を渡って豫園に入ります。まず目に付くこの岩には元主席でもあり上海市長も経験がある江沢民氏の直筆だそうです。豫園造園が始まった1559年から440年を記念して書いてもらったらしい。


池のある庭園。ゴツゴツした石が特徴です。砂が基本で石も滑らかな日本庭園と比べ、無造作にも見えますが、これを美しいと見るかどうかは感性の違いでしかありません。私的には自然っぽさがあって好きですが。


鯉がこんなにたくさん!


壁の上で龍がうねってます。「龍壁」と言うそうです。


留園にあったようなゴツゴツした変わった形の石もたくさんあります。


屋根の上に何か銅像か石像のようなものを発見。


屋根の対向側には同じく馬に乗り、やりのようなものを持った像。戦の場面のようですが、一体これは何を象徴しているのか?
ネットで調べてみると、「宋の名将岳飛と悪徳役人の金兀術が戦っている像」のようです。


豫園を出てバスに向かう途中。この辺はちょっと古い商店街のようで、雑然とした雰囲気です。


そして豫園の至近距離でも開発の波が! もし数年後にもう一度来たら、すっかり違った景色になっているんでしょうね。

朱家角


午前中は上海市街から西へ約30km離れた水郷地帯の古鎮(古い田舎町)、朱家角(しゅかかく、ジュージャージャオ)に赴きました。まだ街に入る前ですがこの美しさ!


朱家角は文字通り「朱家」つまり、朱という姓の家が集まっってできた町だそうです。昔走り高跳びで2m39という当時の世界新記録を樹立した朱建華という陸上選手がいましたが、彼もひょっとするとこの辺りの出身かもしれません。


町の中を流れる運河。これもまた美しい風景です。


遊覧船の乗り場。短い距離だと60元(約900円)、長い距離だと120元(約1,800円)と書いてあります。これは一隻の料金で、最大6人乗りなので6人乗れば一人あたり10元(約150円)ということになります。


船はこんな感じで後ろから乗り込みます。船頭さんは前の方で漕ぎます。女の船頭さんだと途中で歌を歌ってくれるらしいのですが、見たところ女の方はいませんでした。


放生橋。水郷地帯の運河でよく見る形の橋です。


運河のほとりにあった建物。南無阿弥陀仏と書いてあるのでお寺でしょうか?


私達の乗った船の船頭さん。


低い橋の下をくぐると頭をぶつけてしまいそう!


運河沿いには商店も並んでいますが、その一角にも上海万博のマスコットが。

最終日

2泊した蘭生大酒店をチェックアウトし、まずは最後のショッピング。

といっても入ったのは上海翠璽(すいじ)芸術展覧センターという博物館みたいなところ。1階が展示ホールになっていて、入るとすぐに南玉彫刻「大龍船」という大きな彫刻。他にも精巧に彫られ、研磨された彫刻がたくさん展示されています。

2階がショッピングホールになっていて、装飾品や工芸品、アクセサリーなどを販売しています。こういうところでも値切れると聞いたので値切ってみましたが、それなりの金額にならないと難しいみたい。

値札ベースで合計1400元程度選んだら200元位の値引きに成功!(単に店員の策略にはまってたくさん買わされただけかもしれませんが…。)交渉は日本語で大丈夫です。

上海の交通事情


自転車王国の中国らしく、歩道とは分離された自転車専用道が割と整備されています。

交差点ともなると自転車がごった返しています。……むむ?よく見ると自転車専用のはずなのにバイクもいるぞ??
そうです。実はここでは自転車と自動二輪は同じ二輪車というカテゴリーの交通ルールなんです。

自転車と同じだからほとんどの人はノーヘルだし、二輪車専用道の中であれば逆走も可。日本人から見ると棄権極まりないような気がします。

でも自転車に乗る人は、雨の日は皆きちんと雨合羽(前の方が長くてハンドルまで覆うようになった独特のもの)を羽織っていて傘さし運転をしている人など一人もいないし、歩道を我が物顔で走る自転車もいません。中国人から見たら日本の自転車の方が危ないと思うんでしょうね。

ところで、中国の二輪車は日本と決定的に違う点があります。まず「電動」であること。日本では電動アシストという自転車がありますが、中国では電動で自走します。ちゃんとペダルがついて自転車の格好をしていても、充電さえされていれば全く漕がずに走れます。

スクーターなどもほとんどが電気です。エンジン付きのものもありますが、それも燃料はメタノールか何かで、静かだし排ガスも出ません。ガソリンエンジンはほんのわずかで、この辺は結構先進的です。ただ、エンジン音がしないのでバイクが近付いていることがわかりにくく、ちょっと怖いです。

他に上海の交通で驚くのは信号のルール。ガイドさんが言うには、赤信号でも行ければ行っても問題ない(?)らしい。実際、どの車もかなり強引です。じゃあ優先権はどうなってるの?という疑問には、「勇気ある者が優先」というのが実態らしく、例えば歩行者でも「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というのがまかり通ってしまうようです。

逆に行けるのに行かないとひんしゅくを買うことも多いです。面白かったのは、高速道路に日本と同じようにETC専用レーンがあるのですが、そこに公安(警察)の車が一台進入していきました。ところが、何かのトラブルなのかゲートが開きません。しばらく立ち往生していると、後ろの車が公安の車に対して思いっきりクラクションを鳴らすという日本ではあり得ない光景…。


このように、「高架路」が非常に発達しているのも特徴です。市街地には東京で言う首都高のような道路が網の目のように走っていますが、出入り口に料金所もないので、基本的には無料のようです。その代わり渋滞はひどいですが…。

都市間をつなぐ「高速道路」だと料金所があって有料になります。高速道路は片側4車線も珍しくありません。そしてとにかく真っすぐ。中国は社会主義で土地はすべて国有なので、日本みたく用地取得が難航して道路が蛇行するようなことはないそうです。しかしメンテナンスがマメにされないのか、道路は凸凹が目立ち、バスの乗り心地は今一つ。

最後に、これは何でしょう?
市電の架線にも見えますが、実はトロリーバスの架線です。リニアモーターカーや新幹線も走っていて、近代化されつくしたように見える上海ですが、意外にもこんなレトロな乗り物もまだ現役のようです。残念ながら走っているところは拝めませんでしたが…。

上海の建築

上海は来年の万博を控えて建設ラッシュですが、建築で驚くのが「足場」。この写真を見てもわかるように、足場が竹で組んであるんです(驚)!

この写真の建物はたかだか4階建て程度ですが、高層ビルでも竹を使っているし、高速道路の橋げたを造ったりするのにも竹の足場が組まれています。ガイドさん曰く、「上海は地震がないから大丈夫」とのことですが…。

上海雑技団


3日目の最後はオプショナルツアーの上海雑技団観賞。


美人のお姉さんの挨拶(英語)で開劇。上海雑技団はビデオ撮影OKでした。この辺は寛大ですね。フラッシュでカメラ撮影しても問題ないようです。

ここからはビデオカメラのキャプチャーなので画質が少し落ちます。さすがにビデオとデジカメ両方駆使するのは忙しくて難しいです。


いよいよ幕が開きました。


棒から棒へ空中回転しながら飛び移ります。この辺は日本のサーカスに似ています。




軟体少女です。ここまで柔らかいとちょっと不気味です。



「火の輪くぐり」というようなタイトルでした。といっても火はついてませんが。上下に大小2つの輪があって、跳び込み前転とかバック転でくぐり抜けます。


皿回しです。最後の方で数枚落ちたので、確かに皿は回っています。


椅子を重ねてバランスをとります。高くなってくるとさすがに命綱付けてましたが、全然危なげなかったです。


フラフープを使った演技です。こういった曲芸的なものもすごいですが、そこにあるフラフープを全部、一人の女性が一度に腰で回したりします!これは相当体力が要ると思います。


「麦帽子」です。男の子一人につき頭と両手で3つずつ持ち、リズムよく互いに交換したりジャグリングみたいに回したりします。


これもバランス系です。この手の演技は大抵小さな少女ですね。棒の上のわずかな平面上を片手で倒立します。


これ何だと思いますか?
球状の網の中をオートバイが駆け回っているのですが、速過ぎて普通のデジカメでは捉え切れません。遠心力を利用して真っ逆さまにもなります。雑技団というと体操系のイメージが強いんですが、最近はこんなのもあるんですね。


ビデオカメラでキャプチャーしてみると辛うじて捉えています。これは1台だけですが、2台、3台と増えていき、最終的には何と5台!練習中などにクラッシュとかしないんでしょうか??


球体が上下に分離してしまいます。真ん中に4台、下に1台走ってます。下の1台は女性です。


最後に5台全員が出てきて勢揃い。


そして閉幕。驚きとスリルの連続であっという間の90分でした!
料金は3,900円でしたが、上海に行ったら十分に見る価値ありです。
他にもいくつか演技があったのですが、ビデオの電池が切れてしまい(泣)、全部は撮れませんでした。でもあまり撮影に意識が行ってしまうより、生で見た方がいいですね。

最後の夕食

上海に戻り、3日目の夕食。中国国内では最後の夕食になります。今回は海鮮料理ですが、当然ながら刺身みたいなものは出るはずもなく、味付けは相変わらず濃いので、くどさは変わりません。


正面は建物に見えますが、実は遊覧船です。夕食は船内で海鮮料理。船と言っても停留したままですが。中に入ると傾いてますが揺れることはありません。


上海の黄浦江にはたくさんの遊覧船が走っていますが、だいたいこんな感じの派手な船が多いです。龍の飾りがちょっと名古屋っぽいです。左下はガイドの姚(ヨウ)さんです。


頭上を通るのは黄浦江にかかる南浦大橋。黄浦江は外灘と浦東新区の間を流れる上海一の川ですが、大きな船が通るためか、トンネルが多く、上海中心地付近では、橋はこのような吊り橋が3つほど架かっているだけです。高さがあるのでこの橋は取付け道路がループ橋になってます。夜はライトアップされます。

上海のマスマーケティング


蘇州から上海へ戻るバスの中です。マスマーケティングというと日本ではTVCMや新聞広告、折込み広告といったところが一般的ですが、上海では高架路から見える「看板」が結構重要っぽいです。

日本でも看板はたくさんありますが、大抵はビルの屋上。上海では看板そのものが地面から高々と立っているのが独特です。単調な高速道路ですが、看板の漢字である程度意味がわかるので、眺めていると意外と飽きません。

山塘街


続いて行ったのは山塘街(さんとうがい、スァンタンジエ)。山塘街は蘇州の街の北西の外れにある古い街です。この日はよく歩く一日でした。さすがに体力的にはそれほど疲れませんが、雨で湿度が高く汗が吹き出します。


街の入口の橋からの風景。さすがに「東洋のベネチア」と言われるだけあって運河が発達しています。


ここが船乗り場です。ここは時間の関係で乗りませんでした。


商店街です。狭い通りをバイクも通るのですが電動バイクで音がしないのでちょっと怖いです。


商店ばかりではなく民家もあるので、ちょっとひっそりとした路地も。


しばらく歩くと広い通りに出ました。こちらがメインストリートでしょうか。後方に高いビルが建っているのが対照的。


通りの反対側へ行ってみると、いかにも中国風の塔が。


塔を抜けていくと、広い川に出ました。船も大きいですね。


こんな形の橋、よく見かけます。真ん中が高くなっているのは船が通るからでしょうね。


どのくらい高いかというと、こんな感じです。


実際に登ってみると(「登る」という表現がふさわしいです)その高さが実感できますよ♪


ちょっと遠くまで足を延ばし過ぎて時間がなくなってしまったので(汗)、大急ぎで戻って最初の橋の上で写真を撮ってもらいました。雨は上がってましたが、かなり汗かいてます;;;

刺しゅう博物館

続いて刺しゅう博物館を見学。

まずいきなり目を奪われたのがこれ。とても刺しゅうには見えません。隣にはモナリザもありました。


こんな風に、アクリル板(?)に挟み込んで透き通って見えると本当に水の中を泳いでいるみたい!


実際に制作しているところです。


流れに沿って歩いていくと、こんな感じでいろいろな作品が展示されています。…が、よく見てみるとすべての作品に値段がついている!
実はここはショップになっていて全て売り物です。中には日本円で1千万円を超えるようなものも(驚)!


といっても安く買えるものもたくさんあり、私はこれを買いました。150万元、いや150元(約2,300円)でした。玄関の置き物になってます。

留園


蘇州シリーズ、次は留円(りゅうえん、リィウユアン)です。園内にあったパンフレットを見ると明の時代、1593年に造られ、中国の4大名園のうちの一つと書いてあります。


ちょうど船に乗った女性が琵琶を演奏していました。お目にかかれるのは珍しく、ガイドさんも10数回来て初めて見たそうです。


この庭園の特徴は「石」です。激しく侵食されたような大きな石がそこら中に置かれています。


今度は琴の演奏です。


アップでどうぞ。


素晴らしい形の石です。どうしてこんな形の石ができるんでしょうか?


こんなふうに、中をくぐり抜けられるものさえあります。不思議ですね~

シルク工場


次は蘇州にあるシルク工場へ向かいました。


生産工程に沿って、お姉さんが説明してくれます。もちろん日本語です。
最初は糸を作るところです。


小さな端切れのような状態で、水に浸して伸ばし、8枚重ねて乾燥させます。(と言っていたと思う)


乾燥させたら4人で引っ張って四角く伸ばします。びっくりするくらい薄く、広~く伸びます。ツアー客も同じようにやってみますが、力の入れ方や伸ばす方向がデタラメなのか、全く均等に伸びません(笑)。でも意外と力が要ります。体重を使って引っ張らないとうまく伸びません。


ほぼ完成状態です。シングルで180cm×110cmだそうです。でもこれが説明の最後ではなく…


実は展示即売会のノリで、できたばかりの布団をその場で売ってました。商魂たくましいです!
カバーつきでないものは圧縮するとかなりコンパクトになるので、買っていく人も結構いるみたいです。別の階ではシルク製品の売り場もあり、入り口に書いてあった「研究所」のイメージとは大違いでした。

蘇州へ。寒山寺。

3日目は上海から蘇州へと足を運びました。

まずは世界遺産でもある寒山寺(かんざんじ、ハンシャンスー)にお参り。


お寺の中にはいろんな仏像がありましたが、中でもお気に入りはこれ。入り口から入って真正面の仏像なのですぐわかると思います。何がいいかって、それは「韋駄天さま」だからです!
まさにランナーの神様…って仏教だから神様じゃないですねorz。


で、他にも素晴らしい仏像がたくさんあり、ガイドさんが説明してくれていたのですが、ほとんど聞いてませんでした(汗)。


これは、唐の時代の詩人、張継が詠んだ「楓橋夜泊」という有名な漢詩(七言絶句)らしいです。
「月が落ち(沈み)、(暗くなって)カラスが鳴き、霜(冷気)が空を満たす。旅の寂しさによる浅い眠りと、それに相対するかのような川岸の楓や漁り火。姑蘇の城外(街外れ)にある寒山寺にて夜半につく鐘の音は、この客船にまでも届いている。」
というような意味の詩です。(誤訳があったらすみません)

ところで、浜松市にも同じ読み方の「舘山寺」というのがありますが、かつて遣唐使の高僧が蘇州の寒山寺に似ているということで名付けたそうです。また、寒山寺にある鐘は、1905年に伊藤博文が山田寒山という人に2つつくらせ、1つは寒山寺に、もう一つは舘山寺に贈ったのとのこと。浜松の舘山寺には現存していないようですが、戦時中に没収されてしまったのでしょうか?

詳しくはこちら↓
http://sago.livedoor.biz/archives/50161934.html
記事中に出てくる書家とは、実は私の父だったりします。ちなみに私の名前は伊藤博文と同じ「博文」ですが、それはたぶん偶然です。


最後に、寒山寺にそびえる塔。「普明宝塔」といい、高さは52mの五重塔。歴史的建造物かと思いきや、建立は1995年とか。唐の楼閣式仏塔を模したものということです。でも、もともとは七重塔だったみたいです。

黄浦江ナイトクルーズ(夜景鑑賞)

ホテルへ向かう途中、オプショナルツアー参加組はバスを下車して、遊覧船に乗り込みます。

遊覧船にもいろいろありますが、こんなに大きな遊覧船もありました。私達の乗ったのは1階と屋上しかない、もっと小さい船です。


向こう岸にはテレビ塔が見えます。


一方、反対側に目をやると外灘のかつての金融街がライトアップされて美しいです。


改めて反対側の浦東新区方面に目をやると、大迫力のテレビ塔が!


更に先へ進むと、今度はひときわ高くそびえる上海ヒルズ!


妖しげな光を放つ遊覧船とすれ違います。少し露出が足りず、後方には上海ヒルズとジンマオ・ビルがうっすらと。


今度は船首から見た夜景。この後間もなくして乗り場に到着して下船。2泊目のホテル「蘭生大酒店」(「酒店」とはホテルを指す)に向かいます。

茶芸館


浦東新区の後は茶芸館にて中国茶の試飲。ガイドの人が「見習生」というネームプレートを付けていました。ちょっとたどたどしいですがちゃんと日本語で話し始めたので、日本語の見習いと意味が違うのかな、と思っていたら、「私は見習いです。」と日本語で自己紹介(笑)。

それにしても、こういった日本人が多く訪れる所で働くには日本語も勉強しなければならず、大変です。


お茶を入れて、湯飲みに注いでいくのですが、最後の一人分足りなくなってしまいました。この辺がまだまだ見習いです(笑)。


中国茶の試飲の後は、ショッピングということでお茶やお菓子などお土産を買っていき、その後点心料理の夕食。相変わらず料理の違いがよくわかりません(汗)。


この後、バスでホテルへと向かう途中、車内から臨む外灘の夜景鑑賞です。バスで揺れるうえ、雨で上手く撮れませんでしたが、外灘とは反対方向の浦東新区には昼間見たテレビ塔が!ライトアップされて鮮やかです。

上海ヒルズとテレビ塔

かつての上海の中心地、外灘(ワイタン)から黄浦江(こうほこう)をトンネルでくぐると、新しい金融中心地区、浦東(プードン)新区に出ます。間もなく上海ヒルズに到着。

写真右側は通称上海ヒルズ、「上海環球金融中心」は2008年に完成したばかり。森ビルが監修に当たり、高さ492mは中国一。写真撮影の位置の関係で、写真では金茂大厦(420.5m)の方が高く写ってしまっているのが残念といえば残念。展望台に上がるには長時間待つとのことで、ここは地上から写真撮影のみ。


上海ヒルズやジンマオ・ビル以外にも、この辺りには超高層ビルが乱立し、今も建築中のビルがそこら中に見られます。


一方、こちらは東方明珠塔(ドンファンミンジューター、とうほうめいじゅとう)。高さ468mのテレビ塔で、テレビ塔としては世界第3位。高さだけなら上海ヒルズにもひけをとりません。最も高い展望台は350mで東京タワーの高さを上回り、ガイドブックによると展望台に上がるには135元(約2,000円)かかるとか。


テレビ塔をバックに写真を撮ってもらいましたが、広角レンズでないので、てっぺんまでは写らず…。

再び上海へ!

皆既日食は残念ながら雨天に終り、嘉善のホテルをチェックアウト。バスで再び上海へ向かいました。当初の予定ではこの後上海市内観光として豫園(よえん)などへ行く予定でしたが、天候を考慮して4日目の日程と入れ替え、上海ヒルズと東方明珠塔(テレビ塔)付近の見物・写真撮影、ショッピングセンターでの買い物など、というスケジュールに変更。

嘉善付近では田園風景が広がっていましたが、上海市街に近付くにつれ、近代的な高層ビル群へと変わっていきます。以後、バスの車内からの撮影です。


上海は高架路(東京でいう首都高のような感じの道路)が発達しています。


来年開催される上海万博(中国では「世界博」というらしい)に向け、上海は建設ラッシュです。簡体字ですが、個人向けチケットを日本の字体で書くと「個人票」と書くようですね。中国では看板類は漢字を読めば結構意味がわかります。


まだ繁華街はもう少し先ですが、街中の風景はこんな感じです。建物の雰囲気が少し欧州風というか、日本とちょっと違いますね。


目的地が近付いてきました。この高層ビルは上海で2番目に高い「金茂大厦」(ジンマオダーシャー「ジンマオ・ビル」)です。高さ420.5mとか。高すぎて窓にへばりつかないと撮影できません。

ホテル到着


一泊目のホテルに到着。上海南郊の嘉善というところにある「羅星閣賓館」というホテル。


中庭にはこんな庭園がありました。ホテルの周囲はそれほど都会化されていないのですが、ご覧のように近隣は高層のマンション(?)が建築ラッシュでした。


今晩の食事はホテル内。郷土料理ということになっていましたが、上海料理との違いはよくわかりません。日本人の舌に合う、合わないが極端で、ほとんど平らげるお皿もあれば手付かずのお皿もあり。

食事中~食後にかけ、ツアー参加者同士、明日の日食談義で盛り上がりました。この時には既に雨が激しく降り始めていましたが、今のうちにたくさん降って明日は晴れてくれ、と祈ります。

西塘

昼食後、バスに乗って最初に向かったのは西塘(シータンと読むらしい)。西塘は上海浦東空港と杭州の真ん中位にあるので、バスで2時間位かかりました。上海近郊には古い水郷の街がたくさんあるのですが、西塘もその一つ。

こんな感じで狭い路地の両側にお店が所狭しと立ち並んでいます。


西塘はそれほど大きな街ではないのですが、街の中の移動手段としては「タクシー」があります。といっても三輪自転車ですが…。上のような狭い路地でも平気で入っていきます。


路地を抜け、水郷へ出ると風情のある水辺の風景が広がります。ここ西塘は水郷の街としては比較的マイナーなのですが、映画「ミッションインポシブルⅢ」のロケ地として知られています。


こんな風にゆったりと船も浮かんでノスタルジックな雰囲気が漂います。水辺で涼しそうに見えますが、この日まで上海付近は異常高温で38度位あり、体調を崩されてしまった方もいました。

また、古い街とはいえ今でも実際に生活し、暮らしていることから生活感が垣間見え、エアコンの室外機が剥き出しで外に出ていたり、屋根の上には太陽光発電のパネルがあったりと、時代の流れには逆らえないようです。

初日の観光はこれで終りです。

上海へ!

順番が前後しますが、上海に向け出発するところに戻ります。

7月21日、中部国際空港に朝7時集合。静岡からではとても間に合わないので前日から移動し、集合場所の確認と中国人民元への両替のため一旦空港へ行った後、常滑のホテルに宿泊。

当日朝、集合時刻の10分ほど前にツアー会社、H交通社のカウンターへ行くと、もう既に大勢のツアー客が並んでいました。航空券等を受け取った後、まずは荷物を預け、その後最後の説明会があったのですが、場所を間違えて遅れそうになり、冷や汗(--;)。

説明が終わった後出国手続きを行い、搭乗時間を待ちました。遅れもなく、予定通りに搭乗し、離陸しましたが、最初から最後まで空は分厚い雲に覆われ、結局青空はほとんど見ず仕舞い。上海までは約2時間40分と短いので機内食もおつまみ程度かと思っていたら割としっかりしたものが出ました。朝もちゃんと食べてきたので満腹。

隣の人と話をしていたらすぐに着いてしまいました。上海浦東(プートン)空港に着き、入国手続きを済ませると、現地ガイドの姚(ヨウ)さんが待っていました。引率されてバスに向かいましたが、空港を出るととても暑い!姚さんによると、上海はここ数日好天で日中は38~40度だとか…。しかしこの好天もこの日までというのは前に書いたとおりです。あ、姚さんのガイドはもちろん日本語ですが、とても日本語や日本の文化をよく知っていて時々びっくりします。

バスでしばらく移動し、昼食のレストランに向かいます。

食事はこんな感じです(だいぶ食べた後で写真を撮ってしまいました orz)。このツアーで食事をしたところは、どこへ行っても円い回転テーブルで皆で箸をつつくのですが、機内食を食べてからそれほど時間が経ってなく、空腹状態でなかったので、初本場上海料理はあまり食が進まず。

こちらではお茶は出ますが水(お冷や)は出ません。飲み物が欲しい人は店内の売り場へ自分で買いに行きます。大体一般的にビール30元(この店は青島ビールでした)、清涼飲料(コーラ、スプライトなど)20元、ミネラルウォーター10元といったところです。日本円が通用する所も珍しくありませんが、お釣りは元で来ます。お釣りを出す時にどういうレートを使っているのかよくわかりませんが、割と常識的な相場で、特にぼったくられている様子ではなさそう。

日食の写真


第二接触(皆既日食の開始)の40分ほど前の写真です。
ツアーでご一緒させていただいたSさんからいただきました。ありがとうございます!

これまで数回にわたって海外での日食観測遠征歴をお持ちだそうですが、雨は初めてだったとか。

【自己評価】日食観測グッズ

[日食グラス]

日食観測の必需品。皆既日食数日前には、にわか日食ファンが販売店に殺到し、売り切れ続出。ネットオークションでは市価の数倍の価格で落札されていたとか。
当日は太陽が半分ほど欠けるまではこのメガネで観測していた。


[日食撮影用フィルター]

自作品。インクジェットプリンタ用印刷用紙のパッケージで表が黒、裏が銀色のアルミ蒸着フィルムで代用。肉眼では1枚では眩しすぎ、2枚重ねでは見えないことから減光率は1/1000程度(ND1000相当?)と思われる。通常の太陽では光が強すぎるが、食が進んでくれば実用になると期待。
ビデオカメラにセットして使用するつもりだったが、太陽がほとんど現れなかったのでモニターに導入できず、出番なし。


[ビデオカメラ]

撮りっぱなしでも焦点がオートで合うし、ズームも大きく、しかも多少手ブレしても後でキャプチャーして静止画を取り出せるので意外と便利。カメラが趣味の人でなければ、下手にデジカメを使うより上手に撮れるかも。
太陽は撮れなかったが、皆既前後の明るさの変化や周囲の人のざわめきなども録音できてGood。


[コンパクトデジカメ]

三脚にはビデオカメラを据え付けたので、デジカメではフリーでスナップ写真的に。雨でビデオカメラの固定をやめてしまい、手持ち撮影に切り替えて手がふさがってしまったので、以後デジカメの出番なし。


[コンパクト三脚]

ビデオカメラの固定用。ビデオカメラをセットしたものの、なかなか太陽が出てくれず。
ツアーで一緒の人たちと記念写真を撮るのには大いに役立った(苦笑)。


[微動雲台]

三脚にセットし、その上にカメラを装着する。ダイヤルでカメラの角度を上下・左右に微調整できるので、一旦カメラのモニターに太陽を捉えれば、後はこの微動雲台があれば楽に追尾できる。…はずだったが真価を発揮できず。小さい割に意外と重たいので荷物を重くする要因に。

[単眼鏡]

倍率は8~15倍の可変。双眼鏡より多少見づらいが、圧倒的に軽く、片手が空くのは便利。
皆既になったら覗こうと思ったが、雨のため出番なし。


[鏡(ピンホールプロジェクタ)]

部分日食時、ピンホールを通した像が欠けて見えることを応用し、鏡に「パンチ穴補強シール」をベタベタ貼り付け、太陽光を反射させると欠けた太陽が見えるしくみ。日食関連誌に載ってたのを真似た。悪天候のため出番なし。


[冷却シート]

晴天時の暑さ対策。額や首の後ろなどに貼り付けておくと暑さが多少和らぐ。悪天候のため出番なし。


[瞬間冷却パック]

熱射病寸前の際の緊急冷却剤。冷凍しなくても瞬間的に氷点下に下がり、30分程度持続する。当然ながら出番なし。


[雨合羽(ポンチョ)]

雨天のため、大いに役に立った。しかし、「こんなものを周到に用意するから雨が降るんだ」と言われると返す言葉もない(苦笑)。


[レジャーシート]

太陽高度が上がってくると、上の方を見続けると辛いので、シートに寝そべって見る方が楽。カメラのモニターもかなり下向きになるので、シートに座って覗くと楽。
…という本来の使い道をよそに、カメラなどの機材を雨から守るための雨避けシートとして大活躍(苦笑)。


[折りたたみ椅子]

同じく観測時の姿勢を楽にするもの。しかし雨が降って邪魔なお荷物に…。

皆既日食終了。

5分以上の暗闇が続いた後、第三接触(皆既終了)を迎えます。晴れていればここでまたダイヤモンドリングが見られるはずですが…。

これが第三接触の前の暗さです。ここからは3秒刻みで見ていきましょう。


3秒後。上の写真より微妙に明るく、間もなく皆既日食が終わろうとしているのがわかります。


6秒後。地平線付近がやや明るくなってきました。


9秒後。


12秒後。なんとなく空の右下の方が微妙に明るい気がします。


15秒後。


18秒後。周囲の人の姿が徐々に見えるようになってきました。


21秒後。空の左側(東側)に比べて右側(西側)の方が明るいので、もしかするとこの辺りが第三接触かもしれません。第三接触は9時41分。雲の上ではダイヤモンドリングが輝いているのでしょうか?


24秒後。


27秒後。


30秒後。


33秒後。


36秒後。


39秒後。


42秒後。


45秒後。


ちょっと跳ばして約1分後。なぜ時間が跳んでいるかというと、急激に明るくなって、ビデオカメラのオート露出がついていけなくなったのか、ピンぼけになってしまったのを修正したため。

真っ暗からわずか1分でこの明るさまで回復。晴れていればもっとはっきり明るさの変化がわかるんでしょうけど…。

雨も相変わらず激しく、服も荷物もずぶ濡れになってしまったので、皆既が終わったら早々に片付けて撤収。またバスに乗り込み、ホテルへと戻りました。雨で寒いのか、日食で気温が下がったのか、今一つ判然とせず。

第四接触はこの後1時間19分ほど先になるのですが、おそらくそこまで居続けた人は皆無でしょうね。これで待ち焦がれた皆既日食も雨とともに無残に散りました。まあ雨の中とはいえ、昼間の暗闇を経験できたのはそれなりの価値はあるんだろうけど。

皆既日食開始!

校舎周囲の屋根で雨宿りしていたのですが、皆既日食直前のアナウンス(たぶん1分前)。慌ててグラウンドの方に戻りました。

これは第二接触の約20秒前。すでにかなりの暗がりになっていますが、まだ夜という感じではありません。肉眼では周囲の人もちゃんと見えてました。

以後、ビデオカメラからキャプチャーした10秒毎の画像です。すべて同じ感度で撮っているので急速に暗くなる様子がわかると思います。


約10秒前。「暗くなってきた!」とざわざわし始めました。写真では空の右側が少し暗くなっているのがおわかりでしょうか?


たぶん晴れていればダイヤモンドリングが見える直前であろう時間。一気に暗くなりましたが、空は右(西)と左(東)で明るさが違います。右の暗い空がいわゆる「本影」です。


上の写真の10秒後。肉眼では目が暗さに慣れているせいか、ここまで暗くは感じませんでしたが、もう周囲の人の顔は見えませんでした。晴れていればもうコロナが見えているはず。


更にその10秒後。晴天の時なら皆既中は日没後30分程度の明るさと言われますが、この天候ではほとんど夜。

写真は真っ黒になってしまいましたが、肉眼では地平線近くがオレンジ色になっているのが確認できました。本影の外の太陽光のうち、波長の短い青い光が大気により分散され、赤い光だけが届くためで、夕焼けと同じ理屈です。


更に10秒後。写真の中央やや左下に2点の光が見えますが、これは自動車のヘッドライトです。もはやヘッドライトの点灯なしに走るのは不可能です。以後、この暗さが5分近く続きます。

ちなみに、帰国後、NHKの生中継を録画で見ましたが、同じく雨にたたられた屋久島の様子が中継されてました。高感度カメラで撮影して昼間のように映してしまい、せっかくの日食中の闇が台無し(怒)! 通常の感度で肉眼と同じような明るさに見えるように撮ってもらいたいもの。

無情の雨

午前9時過ぎ。皆既まであと約30分という頃、とうとう雨が降ってきてしまいました(泣)。しかも結構大粒の雨。にわか雨であることを期待してしばらくはポンチョをかぶり、傘をさしてしのいでいましたが、全く止む気配なし。

そして、ついに撤収…。すでに大半の人が撤収し、木の下や校舎の屋根の下へ避難しました。残り時間は刻々と短くなっていくのに雨はどんどん強くなり、次第に諦めムードが漂い始めた会場でした。

辺りは徐々に暗くなってきましたがこれが日食が進んでいるからなのか、雲が厚くなったからなのか、判別もできません。

日食始まる!

現地時刻8時過ぎ、部分食開始の10~20分前ですが、どこからか歓声が上がって一斉に太陽の方へ目をやります。ついに雲の合間から太陽が見えました!!
そして、まずはデジカメのレンズの前に日食グラスを当てて最大望遠(6倍)で撮影してみました。焦点はうまく合いませんが欠けていく太陽はなんとか撮れそう。


こうなると会場も俄然盛り上がってきます。今まで太陽の位置がわからず手を持て余していた人達が、一斉に太陽を目標にカメラや望遠鏡のセッティングを始めます。そして8時22分に第一接触(欠け始め)開始。といってもしばらくは何の変化もありません。


第一接触から約30分後。第二接触(皆既日食開始)まではあと40~50分程度ですが、太陽の上の方から1/3位欠けました。常時見えてはいないけど、時々このように見える時があります。この天気なら、皆既日食中もコロナまでは難しいけれど一度は黒い太陽が見られるんじゃないか、と誰もが期待に胸を膨らませます。

皆既日食前

本来なら旅行の日程順に書くべきですが、日食以外の旅行記については後回しにして本題の日食から書いていきます。

前日の夕方から降り続いている雨はほとんど止むことなく当日を迎えました。前夜は雷を伴う激しい雨で、これだけ降ってくれれば当日は晴れてくれるかも?と淡い希望を抱きましたが、朝5時半頃に起きた段階ではまだ雨は止んでいません。

しかし出発時間の7時頃になると雨はほぼあがっていて、微かな期待感を持ちながらバスで観測地となっている地元の高級中学へと向かいました。現地までは徒歩数分の距離なのですが、新型インフルエンザ等の影響で当地の公安(警察)が外国人が多数集まる場所に対してナーバスになっており、バスでしか校内に入れないとのこと。


高級中学のグラウンドは何と8レーンオールウェザーの立派な陸上競技場でした。思わず走りたくなってしまいます(笑)。ここは上海市街から100km近く離れた郊外ですがこんなに環境の良い学校があるとは…。中国のスポーツ環境はなかなか先進的かも? でもフィールド内は芝生に見えますが実際には雑草で、かなり固い枝状のものを伐採したような感じで、中でサッカーでもやって転倒すれば間違いなく出血しそう!

ホテル2ヵ所からざっと300人位でしょうか、グラウンドに集結して皆さん続々とトラック上に陣取りを始めました。私はツアーで知り合った何人かと写真の左端のあたりにビニールシートを敷いてスタンバイ。しかし何層もの雲にさえぎられ、太陽がどこにあるのかさえわからない状況…。果たして太陽は顔を出してくれるのか?

帰宅しました

帰国の便が夜遅くセントレア空港に到着なので、近くに一泊して今日帰宅。
とりあえず結果だけ報告しておくと、上海は見事に雨で皆既は全く見えず(泣)。
しかし夜のように暗くなるのは体験できました。詳細や旅行記は写真などと一緒にまた少しずつアップします。

皆既日食へ。出発直前

どうも上海付近の天気が駄目っぽいです。予報サイトによって若干違いますが、晴マークは全くなし。ただ、日本気象協会の予報では上海は雨だが200kmほど離れた杭州では晴マーク。観測地は上海と杭州の中間なので、わずかでもいいから晴れ間が見えてほしい!

皆既日食へ。明日出発

7月22日の皆既日食まであと2日。
以前にも書きましたが、今回は中国・上海のツアーに参加します。
何しろ海外旅行は15年ぶりで、しかもツアーとはいえ家族や知人もいないのでとても不安です。
忙しくてほとんど何も準備していませんでしたが、昨日旅行に必要な小物などを買い出しに行き、大体揃いました。ほとんどは100円ショップでしたが。

日食観測といえば当然好天を期待して行き、日陰にいたら意味ないので、日焼け止めや瞬間冷却剤などが必要であったり、楽に観測するには折り畳みいすやレジャーシート、双眼鏡も必要、一応簡単な撮影もしたいのでデジカメ、ビデオカメラ、予備バッテリー、三脚も持っていくとなると、結構な荷物になってしまいます。

日食メガネは事前に調達して2つ持っていますが、ここ数日で世の中の日食メガネは売り切れ続出だとか。ちなみに皆既日食中は日食メガネは不要です。部分日食中はピンホール(テレホンカードの穴等)からの光を壁や地面に写して見る方が安全で楽です。
※部分日食を観察する方へ…黒い下敷き等では絶対に見ないようにしましょう。眩しくなくても赤外線を透過しているので、網膜がやけどし、最悪の場合失明します。

問題は天候。海外の天気予報を見ると、上海は向う1週間で22日だけ雨マーク。1日前後にずれてくれれば嬉しいのですが…。薄曇程度まで回復すれば、皆既時間が5分と長いので、一瞬でも太陽が顔を出してくれる可能性もあるので、望みは捨てません。

上海渡航は明後日ですが、空港(セントレア)出発時間が朝7時と早いので、明日名古屋へ移動します。

今年の皆既日食

7月22日に日本および近辺で皆既日食があります。国内では種子島南部から奄美大島北部にかけての諸島、あと、無人島ですが硫黄島で見られるのですが、本土では見られません。国外では中国の上海など。その中でも屋久島から奄美大島の間にあるトカラ列島は皆既の中心帯に近く、最大で6分間以上皆既が持続します。この日食はもうかれこれ10数年前から是非生で見たいと思っていました。

しかしトカラ列島は宿泊施設などのインフラが極めて少なく、飛行場はもちろん船での渡航も極めて限定的であり、トカラの自治体より旅行の企画を全面受託した近ツリのツアーはすべて抽選。実はこのツアーに申し込んでみたのですが、3回の受付期間のうちすでに2回応募し、両方ともあえなく落選。テントとか学校の体育館で寝泊りするコースはかなり通りやすいようですが、それで40万円もかかるのはちょっと…。

そうこうしているうちに、最近色々なツアーが発表されました。国内では小笠原諸島(父島、母島)に宿泊したあと、フェリーで硫黄島沖を巡回するコースが比較的安価。国内にこだわらなければ中国・上海ツアーが3~4泊で20万円以内で出ています。通常の上海旅行に比べればかなり割高でしょうが、何十年に一度という稀少性を考えれば妥当かなと思います。

フェリーは長時間船内生活となるし、船上では写真撮影等はほぼ無理です。まあ写真が趣味ではないので生で見られれば写真は二の次ですが、自分自身が船に弱いのもあって躊躇していました。また、このツアーも抽選なので当たる保証はありません。そろそろ焦り始めた頃、上海ツアーが続々と発表され、とりあえずその中の一つを押えました。もっといいツアーが出ればキャンセルして乗り換えるかもしれませんが、ひとまず確保できたので一安心です。

あとは当日晴天になることと、台風などで行きの飛行機が欠航しないこと、仕事等で休暇がとれなくなる事態にならないよう祈るのみです。