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2009年08月30日

トレッドミル1000×4

1000mを5本、あわよくば6本のつもりで走りましたが、4本で撃沈。設定ペースがちょっと速過ぎたようです。

設定は17.3km/h(傾斜0.8%)、つなぎは300mを12.3km/h。1,2本目からきつく、3本目少し楽になったものの、4本目で一杯一杯となってしまいました。先週一週間、通勤ランでも同じペースがきつく感じたので、やや調子が落ちているようです。

今月はあと1日残していますが、298kmと前月(40km)を考えるとまずまず走れました。来週また暑さがぶり返しそうですが、その後は長めの練習を少しずつ入れていきたいところ。

2009年08月26日

世界陸上2009(3)

メダル2、入賞5という結果は過去の大会と比べても悪い数字ではありませんが、事前の期待と比べると内容的にはかなり物足りなさを感じた人が多いのでは?

今回のベルリンのトラックは、いわゆる「高速トラック」ではないようです。映像を見てもトラックの表面は昔ながらのチップ(つぶつぶ)タイプ。スプリント、跳躍で自己ベストはもちろんシーズンベストにもはるかに及ばない選手が多かったのはトラックの影響を否定できません。しかし、トラックの影響があったとしても、自己ベストとの乖離が大きすぎます。「ボルトはちゃんと世界新を出しているではないか」と言われればそれまで。

期待はずれに終わった本当の原因は「記録のインフレ」による『勘違い』だと思います。国内ではほとんど高速トラック、特に長居あたりは記録が出る風が吹きやすいとの評判です。「国内では未承認の高速水着で好記録を連発して前評判は上がったが、本番は規定通りの水着だった」ようなものです。こういう好条件で記録を出してしまうと、表面的には世界のトップクラスと肩を並べてしまい、心理的に守りに入ってしまいます

最終選考会が終わった後は疲労を抜くことだけに意識が行ってしまい、競技当日は全く疲労感や筋肉の張りがない状態で迎えます。身体が軽いので当然「調子は良かった…」と感じるでしょう。しかし実際には2ヵ月近くも強化練習から遠ざかっていれば運動能力は当然低下しています。そうなると、全くいいところなしで終わるか、最初のラウンド1本目はなんとか走れても、2本目、3本目と続けては無理です。

市民ランナーの世界でも、好記録が出る時というのは、決して全く疲労がない状態ではなく、多少は筋肉の張りを自覚しているなど、若干の不安を抱いているときの方が多いのではないでしょうか?逆にアップでやたらと身体が軽い時は得てして「こんなはずじゃなかったのに」という結果に終わることもよくあります。前日やレース直前の過剰なマッサージやストレッチングも実は逆効果で、筋肉には程よい緊張が必要です。

競歩も今回かなり勘違いしていたように思えます。いくら国内でハイレベルの記録を出していても、歩型違反に対して甘いところで出した記録を真の実力と思ってはいけないということを改めて認識しました。国内大会では日本記録保持者にはなかなか警告を出せないどころか、むしろそういう選手の歩型こそが「正しい」という基準になってしまいがちです。競歩については海外で経験を積むしかないと思います。

2009年08月24日

アディゼロJAPAN

アディゼロCSシリーズは3、4が不満足だっただけに、CS5が出てもCS4とあまり変化がない感じで触手が動きませんでしたが、アディゼロJAPANが8,800円で売られているのを見て衝動買い。

これが久々に的中しました。とても気に入っていた初代アディゼロCSの抜群のフィット感、接地感に似た感覚がありながら26cmモデルで195gと更に軽量化。トレーニング用に履いても脚への負担は少ないし、本命レースでも十分履けそうです。耐久性は劣るかもしれませんが、まさに待ち望んでいたシューズです。やればできるじゃんアディダス、という感じ。

驚いたのは1週間後。同じ店で今度は6,800円に値下がりしていました。少しショックでしたが、1足はレース専用にしようと思ってもう1足購入。どうも新しいカラーが出たため旧カラーは売り尽くしで値下げしたようですが、黄色は足の動きがきれいに見えるので嫌いじゃないし、同じ性能なら当然安い方を選択。

そういえば、世界陸上のマラソンでも黄色のアディダスが目立ちました。同じモデルかどうかわかりませんが。

2009年08月23日

久し振りに練習のこと

練習について書くのは2ヵ月ぶりとかなり間が開いてしまいました。というのも特に7月は日食などもあってほとんど練習をサボってしまい、わずか40km。といってもそれまでも十分に走っているわけではなく、4月154km、5月129km、6月187kmといった具合。

8月に入って心機一転、というより一念発起して今日までで241kmと何とか格好がつく程度には練習してます。まず平日15日中、12日通勤・帰宅ランを往復ともできたのが大きいです。帰宅時はすべて平均4分/kmを切るペースで、意外とスピードが落ちていないのが嬉しいです。

休日は土曜日にトレッドミルでインターバル、日曜日は屋外でジョグというパターンですが、最初は暑さで全然走れませんでした(8月2日は9.4kmでダウン)が、週ごとに暑さにも慣れてきて今日は70分、16km。

トレッドミルは8月8日が1000×5(r=300j)を17.0km/h(傾斜0.8%)、15日(2000+1000)×2(r=400j)を16.8km/hと17.2km/hで、22日は3000+1000+600(r=400j) を16.7km/h、17.3km/h、18.0km/hで行いました。ここ3週間くらいでかなり詰め込んだので、22日はちょっと疲労気味で目一杯でした。

秋のレースはまだ全然考えていませんが、10月頃の記録会で5000m16分40秒位までは持っていきたいところです。

2009年08月19日

世界陸上2009(2)

男子10000mも女子同様2段階スタートでしたが、今回は4レーンと5レーンの間にコーンが置かれ、バックストレートで合流していました。やはり女子の時に間違っていて指摘があったのだと思います。

それにしても26分46秒、後半5000m13分06秒で走っても顔の表情一つ変えないベケレの圧倒的な強さ…。

2009年08月17日

世界陸上2009(1)

女子10000mでデファーが敗れ、アベイレゲッセは途中棄権という波乱、そして日本の中村が粘って7位入賞。というのは結果を見ればわかりますが、実はこのレースはとんでもないことが起きていました。

それはスタートの時。22名のエントリーということで2段階スタートがとられたわけですが、バックストレートに入ってから合流するはずなのに、コーナーには縁石やコーンが設置されておらず、外側スタートの選手がいきなりインコースへ入ってしまいました。中にはルールどおり4レーンの外側を走ろうという意識の選手もいましたが、流れには逆らえず、結局は全員がルール違反。

ルールを厳格に適用すれば外側レーンの選手は全員失格。すぐに気付いていればスタートをやり直すんでしょうが、慌てて飛び出す審判もいなかったし、審判員は誰も何の疑問も持っていなかったように見えました。この件について指摘したメディアは見たことがありませんが、全く問題として取り上げられていないんでしょうか? 国際的に流れた映像なので、世界中の相当の人がおかしいと思ったはずですが…。

2009年08月16日

無事帰国。


観光も終わり、すでにバスの中。


上海を後にし、空港に向かいます。高速道路からは上海リニアモーターカーの線路も見えました。走っているところは見られませんでしたが…。

そして順調に空港に到着…と思ったら空港で思わぬトラブル。日食観光客が大挙して空港におしかけたせいか、チェックインのシステムがダウンしたらしく、長蛇の列。この状態で飛行機は飛ぶのか? とちょっと不安。


復旧の見通しがわからない中、私たちの団体は添乗員さんやガイドさんたちが上手く話をつけて団体窓口を利用させてくれたので、一般カウンターよりは早くチェックイン手続きが進みました。

ようやくチェックインが終わり、4日間お世話になったガイドの姚さんとはここでお別れ。その後税関とか出国審査とかセキュリティチェックとかあったのですが、かなり混雑していたせいか、かなりいい加減だったように思えたのは気のせいか?

結局、搭乗時刻が30分延長になってしまいました。でも比較的早くチェックインできた方なので結構時間が余ってしまい、免税店を徘徊。うまいこと手持ちの人民元を消化できました。


出発は遅れたものの、その後は順調で離陸後、機内食が夕食。上海から中部新国際空港までは3時間弱ですが、機内食を食べた後は記憶なし…。隣がたまたま空席で話し相手もいなかったし、何だかんだでさすがに疲れていたか? いつの間にか着陸寸前でした(汗)。

当初セントレア到着は21時10分ということでしたが、出発が30分遅れたので、荷物を受け取った頃には既に22時頃になってしまいました。その日に帰るには22時発の静岡行きのバスがあるんですが、こういうトラブルも想定してホテルをとっておいたので結果的に助かりました。バスで帰る予定だったら、あるいは翌朝なにか用事があったら気が気じゃなかったと思います。

最後に。一人での海外旅行だったし、海外渡航そのものも15年ぶりだったのでとても不安でしたが、4日間気を配って下さった添乗員のT村さん、現地ガイドの姚さん、本当にお世話になりありがとうございました! それから忘れてはなりませんが、毎日(少し荒っぽいですが)安全に目的にへ送り届けてくれたバスの運転手、王さんにも感謝です。

天候不順や現地当局の混乱など、いろいろ思いがけない悪条件もありましたが、H交通社の添乗員さんやガイドさん、現地ツアーデスクの判断・連携がよく、(日食が見られなかったのは残念ですが)心に残る旅ができました! 正直言って最初は日食以外は期待してなかったけれど、終わってみればいい思い出になりました。

それから、初対面なのに食事中や観光地にて、気軽に話しかけてくれたり写真を撮ってくれたりと、ツアーの同じグループの皆さんのおかげで孤独感なく、とても楽しい旅行になりました!あらためて御礼申し上げます。m(_ _)m

(完)

2009年08月14日

豫園


最後の観光地、豫園(よえん、ユーユェン)。豫園周辺の街並みですが、商店が立ち並んでいます。上海ヒルズやジンマオ・ビルからもほど近い場所にあります。本来は2日目に来るはずでした。大雨だったので添乗員さんたちの判断で最終日と日程を入れ替えたんですが、見事に的中しました。


豫園周辺の一大商店街は豫園商城と言います。人が多くとてもにぎやか!
でもよく見るとちょっと怪しいキャラクターものとか売ってたりします…。


ここは豫園入口の前にある蓮の池。ピンク色の橋は九曲橋というくらいだから多分9回曲がっているんでしょう。数えてはいませんが…。


橋を渡って豫園に入ります。まず目に付くこの岩には元主席でもあり上海市長も経験がある江沢民氏の直筆だそうです。豫園造園が始まった1559年から440年を記念して書いてもらったらしい。


池のある庭園。ゴツゴツした石が特徴です。砂が基本で石も滑らかな日本庭園と比べ、無造作にも見えますが、これを美しいと見るかどうかは感性の違いでしかありません。私的には自然っぽさがあって好きですが。


鯉がこんなにたくさん!


壁の上で龍がうねってます。「龍壁」と言うそうです。


留園にあったようなゴツゴツした変わった形の石もたくさんあります。


屋根の上に何か銅像か石像のようなものを発見。


屋根の対向側には同じく馬に乗り、やりのようなものを持った像。戦の場面のようですが、一体これは何を象徴しているのか?
ネットで調べてみると、「宋の名将岳飛と悪徳役人の金兀術が戦っている像」のようです。


豫園を出てバスに向かう途中。この辺はちょっと古い商店街のようで、雑然とした雰囲気です。


そして豫園の至近距離でも開発の波が! もし数年後にもう一度来たら、すっかり違った景色になっているんでしょうね。

2009年08月13日

朱家角


午前中は上海市街から西へ約30km離れた水郷地帯の古鎮(古い田舎町)、朱家角(しゅかかく、ジュージャージャオ)に赴きました。まだ街に入る前ですがこの美しさ!


朱家角は文字通り「朱家」つまり、朱という姓の家が集まっってできた町だそうです。昔走り高跳びで2m39という当時の世界新記録を樹立した朱建華という陸上選手がいましたが、彼もひょっとするとこの辺りの出身かもしれません。


町の中を流れる運河。これもまた美しい風景です。


遊覧船の乗り場。短い距離だと60元(約900円)、長い距離だと120元(約1,800円)と書いてあります。これは一隻の料金で、最大6人乗りなので6人乗れば一人あたり10元(約150円)ということになります。


船はこんな感じで後ろから乗り込みます。船頭さんは前の方で漕ぎます。女の船頭さんだと途中で歌を歌ってくれるらしいのですが、見たところ女の方はいませんでした。


放生橋。水郷地帯の運河でよく見る形の橋です。


運河のほとりにあった建物。南無阿弥陀仏と書いてあるのでお寺でしょうか?


私達の乗った船の船頭さん。


低い橋の下をくぐると頭をぶつけてしまいそう!


運河沿いには商店も並んでいますが、その一角にも上海万博のマスコットが。

2009年08月12日

最終日

2泊した蘭生大酒店をチェックアウトし、まずは最後のショッピング。

といっても入ったのは上海翠璽(すいじ)芸術展覧センターという博物館みたいなところ。1階が展示ホールになっていて、入るとすぐに南玉彫刻「大龍船」という大きな彫刻。他にも精巧に彫られ、研磨された彫刻がたくさん展示されています。

2階がショッピングホールになっていて、装飾品や工芸品、アクセサリーなどを販売しています。こういうところでも値切れると聞いたので値切ってみましたが、それなりの金額にならないと難しいみたい。

値札ベースで合計1400元程度選んだら200元位の値引きに成功!(単に店員の策略にはまってたくさん買わされただけかもしれませんが…。)交渉は日本語で大丈夫です。

2009年08月11日

地震速報

この時間は、日食ブログを中断して、地震関連のニュースをお伝えします。
今日(8月11日)の午前5時7分頃、駿河湾を震源とするマグニチュード6.5の地震がありました。各地の震度は…

というわけで静岡県で最大震度6弱の大きな地震が発生。私の住む静岡市駿河区(観測地の気象台は自宅から徒歩2分位のところにある)は震度5強だったようです。その時間は当然まだ眠りについていましたが、突然床の下から突き上げられたかと思ったら、考える間もなく激しい横揺れ。「ついに東海地震か?」と本気で思いました。もう布団にへばりつくしかありませんでした! 普段から想定はしていてもいざ本当に強い地震が来ると何にもできないな…と痛感。

揺れが収まり、別の部屋で寝ていた妻も起きてきたのでテレビをつけて速報を見ていてもらい、その間、まず家の中で倒壊がないか、部屋の戸や玄関はちゃんと開くか確認。その後外へ出て壁やフェンスを見たり、近所で建物の倒壊や道路の陥没などがないかを確認。特に大きな被害はありませんでした。

しばらくテレビで状況を確認した後、まだ通常より1時間以上早いですが、出勤。電車も止まっているし、道路の状況もはっきりわからず、台風の影響でやや強い雨も降っているので、車や自転車も危険。最も早く確実に行ける方法として走って行きました(結局いつもと同じじゃん?)。

7時前には職場に到着しましたが、職場でもやっぱり固定していないものが一部落下していたり、書庫の中の書類が一部散乱していたりしましたが、目立った被害はなし。早く出勤した人たちで安否や通勤状況の確認、関係部署や支店との連絡に追われましたが、東海地震を想定した訓練は定期的に行ってきたので、特に混乱はありませんでした。

幸いだったのは早朝5時という時間帯。東名高速で盛り土が崩落していましたが、あれが日中だったら大惨事でした。新幹線や鉄道も脱線していたかも…と思うとぞっとします。しかし死亡ゼロは幸いだったとはいえ、世の中がお盆休みに入った直後で大動脈の東名高速道路の分断は生活や経済面で大打撃でしょうね。せっかくのETC1000円も道路が通れなければ意味ないし、物流が機能しなくなる。今日も国道1号は普段あり得ない大渋滞でした。

2009年08月10日

上海の交通事情


自転車王国の中国らしく、歩道とは分離された自転車専用道が割と整備されています。

交差点ともなると自転車がごった返しています。……むむ?よく見ると自転車専用のはずなのにバイクもいるぞ??
そうです。実はここでは自転車と自動二輪は同じ二輪車というカテゴリーの交通ルールなんです。

自転車と同じだからほとんどの人はノーヘルだし、二輪車専用道の中であれば逆走も可。日本人から見ると棄権極まりないような気がします。

でも自転車に乗る人は、雨の日は皆きちんと雨合羽(前の方が長くてハンドルまで覆うようになった独特のもの)を羽織っていて傘さし運転をしている人など一人もいないし、歩道を我が物顔で走る自転車もいません。中国人から見たら日本の自転車の方が危ないと思うんでしょうね。

ところで、中国の二輪車は日本と決定的に違う点があります。まず「電動」であること。日本では電動アシストという自転車がありますが、中国では電動で自走します。ちゃんとペダルがついて自転車の格好をしていても、充電さえされていれば全く漕がずに走れます。

スクーターなどもほとんどが電気です。エンジン付きのものもありますが、それも燃料はメタノールか何かで、静かだし排ガスも出ません。ガソリンエンジンはほんのわずかで、この辺は結構先進的です。ただ、エンジン音がしないのでバイクが近付いていることがわかりにくく、ちょっと怖いです。

他に上海の交通で驚くのは信号のルール。ガイドさんが言うには、赤信号でも行ければ行っても問題ない(?)らしい。実際、どの車もかなり強引です。じゃあ優先権はどうなってるの?という疑問には、「勇気ある者が優先」というのが実態らしく、例えば歩行者でも「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というのがまかり通ってしまうようです。

逆に行けるのに行かないとひんしゅくを買うことも多いです。面白かったのは、高速道路に日本と同じようにETC専用レーンがあるのですが、そこに公安(警察)の車が一台進入していきました。ところが、何かのトラブルなのかゲートが開きません。しばらく立ち往生していると、後ろの車が公安の車に対して思いっきりクラクションを鳴らすという日本ではあり得ない光景…。


このように、「高架路」が非常に発達しているのも特徴です。市街地には東京で言う首都高のような道路が網の目のように走っていますが、出入り口に料金所もないので、基本的には無料のようです。その代わり渋滞はひどいですが…。

都市間をつなぐ「高速道路」だと料金所があって有料になります。高速道路は片側4車線も珍しくありません。そしてとにかく真っすぐ。中国は社会主義で土地はすべて国有なので、日本みたく用地取得が難航して道路が蛇行するようなことはないそうです。しかしメンテナンスがマメにされないのか、道路は凸凹が目立ち、バスの乗り心地は今一つ。

最後に、これは何でしょう?
市電の架線にも見えますが、実はトロリーバスの架線です。リニアモーターカーや新幹線も走っていて、近代化されつくしたように見える上海ですが、意外にもこんなレトロな乗り物もまだ現役のようです。残念ながら走っているところは拝めませんでしたが…。

上海の建築

上海は来年の万博を控えて建設ラッシュですが、建築で驚くのが「足場」。この写真を見てもわかるように、足場が竹で組んであるんです(驚)!

この写真の建物はたかだか4階建て程度ですが、高層ビルでも竹を使っているし、高速道路の橋げたを造ったりするのにも竹の足場が組まれています。ガイドさん曰く、「上海は地震がないから大丈夫」とのことですが…。

2009年08月09日

上海雑技団


3日目の最後はオプショナルツアーの上海雑技団観賞。


美人のお姉さんの挨拶(英語)で開劇。上海雑技団はビデオ撮影OKでした。この辺は寛大ですね。フラッシュでカメラ撮影しても問題ないようです。

ここからはビデオカメラのキャプチャーなので画質が少し落ちます。さすがにビデオとデジカメ両方駆使するのは忙しくて難しいです。


いよいよ幕が開きました。


棒から棒へ空中回転しながら飛び移ります。この辺は日本のサーカスに似ています。




軟体少女です。ここまで柔らかいとちょっと不気味です。



「火の輪くぐり」というようなタイトルでした。といっても火はついてませんが。上下に大小2つの輪があって、跳び込み前転とかバック転でくぐり抜けます。


皿回しです。最後の方で数枚落ちたので、確かに皿は回っています。


椅子を重ねてバランスをとります。高くなってくるとさすがに命綱付けてましたが、全然危なげなかったです。


フラフープを使った演技です。こういった曲芸的なものもすごいですが、そこにあるフラフープを全部、一人の女性が一度に腰で回したりします!これは相当体力が要ると思います。


「麦帽子」です。男の子一人につき頭と両手で3つずつ持ち、リズムよく互いに交換したりジャグリングみたいに回したりします。


これもバランス系です。この手の演技は大抵小さな少女ですね。棒の上のわずかな平面上を片手で倒立します。


これ何だと思いますか?
球状の網の中をオートバイが駆け回っているのですが、速過ぎて普通のデジカメでは捉え切れません。遠心力を利用して真っ逆さまにもなります。雑技団というと体操系のイメージが強いんですが、最近はこんなのもあるんですね。


ビデオカメラでキャプチャーしてみると辛うじて捉えています。これは1台だけですが、2台、3台と増えていき、最終的には何と5台!練習中などにクラッシュとかしないんでしょうか??


球体が上下に分離してしまいます。真ん中に4台、下に1台走ってます。下の1台は女性です。


最後に5台全員が出てきて勢揃い。


そして閉幕。驚きとスリルの連続であっという間の90分でした!
料金は3,900円でしたが、上海に行ったら十分に見る価値ありです。
他にもいくつか演技があったのですが、ビデオの電池が切れてしまい(泣)、全部は撮れませんでした。でもあまり撮影に意識が行ってしまうより、生で見た方がいいですね。

最後の夕食

上海に戻り、3日目の夕食。中国国内では最後の夕食になります。今回は海鮮料理ですが、当然ながら刺身みたいなものは出るはずもなく、味付けは相変わらず濃いので、くどさは変わりません。


正面は建物に見えますが、実は遊覧船です。夕食は船内で海鮮料理。船と言っても停留したままですが。中に入ると傾いてますが揺れることはありません。


上海の黄浦江にはたくさんの遊覧船が走っていますが、だいたいこんな感じの派手な船が多いです。龍の飾りがちょっと名古屋っぽいです。左下はガイドの姚(ヨウ)さんです。


頭上を通るのは黄浦江にかかる南浦大橋。黄浦江は外灘と浦東新区の間を流れる上海一の川ですが、大きな船が通るためか、トンネルが多く、上海中心地付近では、橋はこのような吊り橋が3つほど架かっているだけです。高さがあるのでこの橋は取付け道路がループ橋になってます。夜はライトアップされます。

上海のマスマーケティング


蘇州から上海へ戻るバスの中です。マスマーケティングというと日本ではTVCMや新聞広告、折込み広告といったところが一般的ですが、上海では高架路から見える「看板」が結構重要っぽいです。

日本でも看板はたくさんありますが、大抵はビルの屋上。上海では看板そのものが地面から高々と立っているのが独特です。単調な高速道路ですが、看板の漢字である程度意味がわかるので、眺めていると意外と飽きません。

山塘街


続いて行ったのは山塘街(さんとうがい、スァンタンジエ)。山塘街は蘇州の街の北西の外れにある古い街です。この日はよく歩く一日でした。さすがに体力的にはそれほど疲れませんが、雨で湿度が高く汗が吹き出します。


街の入口の橋からの風景。さすがに「東洋のベネチア」と言われるだけあって運河が発達しています。


ここが船乗り場です。ここは時間の関係で乗りませんでした。


商店街です。狭い通りをバイクも通るのですが電動バイクで音がしないのでちょっと怖いです。


商店ばかりではなく民家もあるので、ちょっとひっそりとした路地も。


しばらく歩くと広い通りに出ました。こちらがメインストリートでしょうか。後方に高いビルが建っているのが対照的。


通りの反対側へ行ってみると、いかにも中国風の塔が。


塔を抜けていくと、広い川に出ました。船も大きいですね。


こんな形の橋、よく見かけます。真ん中が高くなっているのは船が通るからでしょうね。


どのくらい高いかというと、こんな感じです。


実際に登ってみると(「登る」という表現がふさわしいです)その高さが実感できますよ♪


ちょっと遠くまで足を延ばし過ぎて時間がなくなってしまったので(汗)、大急ぎで戻って最初の橋の上で写真を撮ってもらいました。雨は上がってましたが、かなり汗かいてます;;;

2009年08月08日

刺しゅう博物館

続いて刺しゅう博物館を見学。

まずいきなり目を奪われたのがこれ。とても刺しゅうには見えません。隣にはモナリザもありました。


こんな風に、アクリル板(?)に挟み込んで透き通って見えると本当に水の中を泳いでいるみたい!


実際に制作しているところです。


流れに沿って歩いていくと、こんな感じでいろいろな作品が展示されています。…が、よく見てみるとすべての作品に値段がついている!
実はここはショップになっていて全て売り物です。中には日本円で1千万円を超えるようなものも(驚)!


といっても安く買えるものもたくさんあり、私はこれを買いました。150万元、いや150元(約2,300円)でした。玄関の置き物になってます。

2009年08月07日

留園


蘇州シリーズ、次は留円(りゅうえん、リィウユアン)です。園内にあったパンフレットを見ると明の時代、1593年に造られ、中国の4大名園のうちの一つと書いてあります。


ちょうど船に乗った女性が琵琶を演奏していました。お目にかかれるのは珍しく、ガイドさんも10数回来て初めて見たそうです。


この庭園の特徴は「石」です。激しく侵食されたような大きな石がそこら中に置かれています。


今度は琴の演奏です。


アップでどうぞ。


素晴らしい形の石です。どうしてこんな形の石ができるんでしょうか?


こんなふうに、中をくぐり抜けられるものさえあります。不思議ですね~

2009年08月05日

シルク工場


次は蘇州にあるシルク工場へ向かいました。


生産工程に沿って、お姉さんが説明してくれます。もちろん日本語です。
最初は糸を作るところです。


小さな端切れのような状態で、水に浸して伸ばし、8枚重ねて乾燥させます。(と言っていたと思う)


乾燥させたら4人で引っ張って四角く伸ばします。びっくりするくらい薄く、広~く伸びます。ツアー客も同じようにやってみますが、力の入れ方や伸ばす方向がデタラメなのか、全く均等に伸びません(笑)。でも意外と力が要ります。体重を使って引っ張らないとうまく伸びません。


ほぼ完成状態です。シングルで180cm×110cmだそうです。でもこれが説明の最後ではなく…


実は展示即売会のノリで、できたばかりの布団をその場で売ってました。商魂たくましいです!
カバーつきでないものは圧縮するとかなりコンパクトになるので、買っていく人も結構いるみたいです。別の階ではシルク製品の売り場もあり、入り口に書いてあった「研究所」のイメージとは大違いでした。

2009年08月03日

蘇州へ。寒山寺。

3日目は上海から蘇州へと足を運びました。

まずは世界遺産でもある寒山寺(かんざんじ、ハンシャンスー)にお参り。


お寺の中にはいろんな仏像がありましたが、中でもお気に入りはこれ。入り口から入って真正面の仏像なのですぐわかると思います。何がいいかって、それは「韋駄天さま」だからです!
まさにランナーの神様…って仏教だから神様じゃないですねorz。


で、他にも素晴らしい仏像がたくさんあり、ガイドさんが説明してくれていたのですが、ほとんど聞いてませんでした(汗)。


これは、唐の時代の詩人、張継が詠んだ「楓橋夜泊」という有名な漢詩(七言絶句)らしいです。
「月が落ち(沈み)、(暗くなって)カラスが鳴き、霜(冷気)が空を満たす。旅の寂しさによる浅い眠りと、それに相対するかのような川岸の楓や漁り火。姑蘇の城外(街外れ)にある寒山寺にて夜半につく鐘の音は、この客船にまでも届いている。」
というような意味の詩です。(誤訳があったらすみません)

ところで、浜松市にも同じ読み方の「舘山寺」というのがありますが、かつて遣唐使の高僧が蘇州の寒山寺に似ているということで名付けたそうです。また、寒山寺にある鐘は、1905年に伊藤博文が山田寒山という人に2つつくらせ、1つは寒山寺に、もう一つは舘山寺に贈ったのとのこと。浜松の舘山寺には現存していないようですが、戦時中に没収されてしまったのでしょうか?

詳しくはこちら↓
http://sago.livedoor.biz/archives/50161934.html
記事中に出てくる書家とは、実は私の父だったりします。ちなみに私の名前は伊藤博文と同じ「博文」ですが、それはたぶん偶然です。


最後に、寒山寺にそびえる塔。「普明宝塔」といい、高さは52mの五重塔。歴史的建造物かと思いきや、建立は1995年とか。唐の楼閣式仏塔を模したものということです。でも、もともとは七重塔だったみたいです。

2009年08月02日

黄浦江ナイトクルーズ(夜景鑑賞)

ホテルへ向かう途中、オプショナルツアー参加組はバスを下車して、遊覧船に乗り込みます。

遊覧船にもいろいろありますが、こんなに大きな遊覧船もありました。私達の乗ったのは1階と屋上しかない、もっと小さい船です。


向こう岸にはテレビ塔が見えます。


一方、反対側に目をやると外灘のかつての金融街がライトアップされて美しいです。


改めて反対側の浦東新区方面に目をやると、大迫力のテレビ塔が!


更に先へ進むと、今度はひときわ高くそびえる上海ヒルズ!


妖しげな光を放つ遊覧船とすれ違います。少し露出が足りず、後方には上海ヒルズとジンマオ・ビルがうっすらと。


今度は船首から見た夜景。この後間もなくして乗り場に到着して下船。2泊目のホテル「蘭生大酒店」(「酒店」とはホテルを指す)に向かいます。

茶芸館


浦東新区の後は茶芸館にて中国茶の試飲。ガイドの人が「見習生」というネームプレートを付けていました。ちょっとたどたどしいですがちゃんと日本語で話し始めたので、日本語の見習いと意味が違うのかな、と思っていたら、「私は見習いです。」と日本語で自己紹介(笑)。

それにしても、こういった日本人が多く訪れる所で働くには日本語も勉強しなければならず、大変です。


お茶を入れて、湯飲みに注いでいくのですが、最後の一人分足りなくなってしまいました。この辺がまだまだ見習いです(笑)。


中国茶の試飲の後は、ショッピングということでお茶やお菓子などお土産を買っていき、その後点心料理の夕食。相変わらず料理の違いがよくわかりません(汗)。


この後、バスでホテルへと向かう途中、車内から臨む外灘の夜景鑑賞です。バスで揺れるうえ、雨で上手く撮れませんでしたが、外灘とは反対方向の浦東新区には昼間見たテレビ塔が!ライトアップされて鮮やかです。

上海ヒルズとテレビ塔

かつての上海の中心地、外灘(ワイタン)から黄浦江(こうほこう)をトンネルでくぐると、新しい金融中心地区、浦東(プードン)新区に出ます。間もなく上海ヒルズに到着。

写真右側は通称上海ヒルズ、「上海環球金融中心」は2008年に完成したばかり。森ビルが監修に当たり、高さ492mは中国一。写真撮影の位置の関係で、写真では金茂大厦(420.5m)の方が高く写ってしまっているのが残念といえば残念。展望台に上がるには長時間待つとのことで、ここは地上から写真撮影のみ。


上海ヒルズやジンマオ・ビル以外にも、この辺りには超高層ビルが乱立し、今も建築中のビルがそこら中に見られます。


一方、こちらは東方明珠塔(ドンファンミンジューター、とうほうめいじゅとう)。高さ468mのテレビ塔で、テレビ塔としては世界第3位。高さだけなら上海ヒルズにもひけをとりません。最も高い展望台は350mで東京タワーの高さを上回り、ガイドブックによると展望台に上がるには135元(約2,000円)かかるとか。


テレビ塔をバックに写真を撮ってもらいましたが、広角レンズでないので、てっぺんまでは写らず…。

再び上海へ!

皆既日食は残念ながら雨天に終り、嘉善のホテルをチェックアウト。バスで再び上海へ向かいました。当初の予定ではこの後上海市内観光として豫園(よえん)などへ行く予定でしたが、天候を考慮して4日目の日程と入れ替え、上海ヒルズと東方明珠塔(テレビ塔)付近の見物・写真撮影、ショッピングセンターでの買い物など、というスケジュールに変更。

嘉善付近では田園風景が広がっていましたが、上海市街に近付くにつれ、近代的な高層ビル群へと変わっていきます。以後、バスの車内からの撮影です。


上海は高架路(東京でいう首都高のような感じの道路)が発達しています。


来年開催される上海万博(中国では「世界博」というらしい)に向け、上海は建設ラッシュです。簡体字ですが、個人向けチケットを日本の字体で書くと「個人票」と書くようですね。中国では看板類は漢字を読めば結構意味がわかります。


まだ繁華街はもう少し先ですが、街中の風景はこんな感じです。建物の雰囲気が少し欧州風というか、日本とちょっと違いますね。


目的地が近付いてきました。この高層ビルは上海で2番目に高い「金茂大厦」(ジンマオダーシャー「ジンマオ・ビル」)です。高さ420.5mとか。高すぎて窓にへばりつかないと撮影できません。

2009年08月01日

ホテル到着


一泊目のホテルに到着。上海南郊の嘉善というところにある「羅星閣賓館」というホテル。


中庭にはこんな庭園がありました。ホテルの周囲はそれほど都会化されていないのですが、ご覧のように近隣は高層のマンション(?)が建築ラッシュでした。


今晩の食事はホテル内。郷土料理ということになっていましたが、上海料理との違いはよくわかりません。日本人の舌に合う、合わないが極端で、ほとんど平らげるお皿もあれば手付かずのお皿もあり。

食事中~食後にかけ、ツアー参加者同士、明日の日食談義で盛り上がりました。この時には既に雨が激しく降り始めていましたが、今のうちにたくさん降って明日は晴れてくれ、と祈ります。