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Firefox2.0リリース

いつの間にかFirefoxの新バージョンが公開されていました。
http://www.mozilla-japan.org/

操作性で変わったところは、タブ1つ1つに「×(閉じる)」ボタンが付いたこと。これについては、もともとショートカット「Ctrl+W」を使っていたので、特に便利になった気はしないかも。でも時々は遠くにある閉じるボタンで閉じることもあるから、ないよりあった方がいいかな。

次に、せっかくタブブラウザなのに、リンク先が新しいウインドウで開いてしまうのを同一ウインドウの新タブで開けるようになった。しかしこれを実現するアドオンを入れていたので、これもあまり影響なし。ただし、一旦閉じたウインドウを再度開けるようになったのは良い。よく間違って閉じてしまうことがあるので。しかもタブバーを右クリックで簡単にできるのは便利。

初めてのDOS/V機

2台目のPCを買ったのは1994年8月。今は死語となっているDOS/Vマシンが台頭してきた頃だ。当時まだNECの98マシンがまだ優勢ではあったが、とにかく軽くて持ち運びが楽なPC がほしくて、IBMのThinkPad230Csを選んだ。

スペックは、CPUが80486SXの33MHz、メモリは4MB(増設後12MB)、HDが260MB。ディスプレイはSTNカラー液晶のSVGA、3.5インチFDDは外付、A5ファイルサイズの重量1.7kg。OSはPC-DOS6.2で、そこからWindows3.1を起動できた。つまり当時はまだベースはDOSだった。相変わらずコンベンショナルメモリには気を遣わなくてはいけなかったが、逆にレジストリをいじることもなかったので、メモリ不足でアプリケーションが起動できないことはあったが、フリーズすることはあまりなかった。Windowsを使うのは、主にワープロ「OASYS/Win」を使うとき。職場ではワープロ専用機OASYSが標準文書だったため、文書はOASYS形式で作らざるを得なかったためだ。

その他は、まだDOSのソフトでも用が足りていたが、しばらくしてパソコン通信「Nifty-Serve」を始めた頃から次第にWindowsを使うことが多くなってきた。モデムを買ったときに付いていた通信ソフト「秀Term」がWindows用だったためだ。そうなるとレス書きもWindowsでやりたくなるので「秀丸エディタ」を使うようになった。後に出たNifty専用の統合通信ソフト「Nifterm」は秀逸で、もうWindowsは手離せなくなってしまった。

決定的だったのは95年頃から始めたインターネットか。当時Mosaicというブラウザしかなかったが、DOS用は存在しなかったため、Windowsを使わざるを得なかった。しかし、所詮DOSの延長上にあったWindows3.1ではインターネットにはついていけず、95年11月にあの社会現象にまでなったWindows95が登場した。ブラウザもNetscapeNavigatorが登場してインターネット環境は大きく変わった。ThinkPad230CsのスペックではWindows95は載せるのは困難であり、結局2年4ヶ月の短命に終わってしまった。しかしこの間、ホームページを開設し、HTMLやJavaScriptを覚えたり、ネットを通じてランニング仲間が増えるなど、大きな変化のあった期間だった。

初めてのPC

初めて自分でPCを買ったのは、1989年1月。当時修士1年で、論文が手書きからワープロ書きが主流になりつつある時期。買ったのはエプソンのPC286VE。当時、エプソンはNECのPC9801シリーズの唯一の互換機メーカー。CPUはインテルの16ビット最後のCPU、i80286の12MHz。メインメモリは640KB(MBではない)。当時としては最高レベルの性能だった。FDは5インチのドライブ2基を搭載。HDは標準では付いていない。後で40MB(GBではない)のHDを外付けした。総額はPCとプリンタで約40万円。HDは7万円ほどした。今と比べると非常に高価だが、今のPCをはじめ情報機器を取り扱う上でのベースとなっているので、高い買い物とは思っていない。

エプソンのPCがPC9801シリーズと違うのは、OSが内蔵されていないこと。9801はROM-BASICというOSをROMに持っていたが、すでにROM-BASICは過去の遺物となっており、OSはフロッピーディスクで供給されていた。使えたOSはN88BASICとMS-DOS。まだゲームもN88BASICが多かった。MS-DOSは一太郎やロータス123などのビジネスソフトには、なんとMS-DOS2.11そのものが付帯していた。MS-DOS3.1や3.3は単体で販売されていた。BASICの書き方やDOSのコマンド、バッチファイルの作り方、config.sysを書き替えて環境を変えたり、ということはこの頃に覚えた。今となってはほとんど無駄な知識となっているが・・・。

当時論文書きやプログラミングを通じてタッチタイプをマスターしたおかげで、今でもキーボードを直接見ることは少ない。しかし、当時は今とショートカットキーの使い方が違っていた。「Ctrl+E,S,X,D」はダイヤモンドカーソルと言って、カーソルキーに手を伸ばさなくてもカーソルを移動できたし、「Ctrl+M」はリターンキー、「Ctrl+H」はBSキーの代わりになったので、ほとんどホームポジションから手を離す必要がなかった。

FEP(フロントエンドプロセッサ:日本語変換ソフト。現在はIME:インプットメソッドエディタと呼ぶ)は一太郎Ver3に付いているATOK6を主に使っていた。おかげで今でもいわゆる「指がATOK」で、今でもMSIMEのキー入力をATOK式にして使っている。N88BASICではATOKが使えないので苦労した。単漢字変換や最悪の場合コード入力をする機会もあった。BASICはその後、DOS上で動くQuickBasic(VisualBasicの前身)が出たのでその苦労もなくなった。

プリンタは、当時はインクジェットやレーザーはなく、熱転写かドットインパクト方式しかなかった。買ったのはドットインパクトで、現在は複写用紙に印字するための業務用プリンタとして辛うじて見ることができるが、ピー、ガガガと激しい音のするプリンタだ。

結局最初のPCはその後約5年間使うこととなる。