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全国高校駅伝

男女とも頭一つ抜けているチームがあり、独走の展開も予想されたが、意外にも本命が順調なレース運びができずに接戦となり、見ている分には面白いレースだった。

女子は須磨学園が圧倒的な力で2区小林から独走と思われた。しかし1区がトップ仙台育英から何と1分03秒も遅れて23位。3000m9分13秒、昨年も1区区間8位で走っているのだが。しかし2区小林が冷静に差を縮め、終わってみれば20人抜きで3位に上がり、差も23秒と見える位置まで詰めた。下り基調なので12分30秒切れるかもと思ったが、終盤は少し疲れたようだ。差が出たのは4区。チームでも力のない選手が走る3km区間で須磨学園は3000m9分09秒のタイムを持つ広田を惜しげもなく投入し、逆転。この時点で2位仙台育英とは3秒差。5区は須磨学園が前半自重気味だったので仙台育英が追いつくが、後半は自力の差が出た。2位争いは興譲館がトラックで猛然と追い込み、同タイムながら2位でフィニッシュ。

須磨学園が出遅れながらも優勝できたのは小林の力が大きい。といっても単に走力だけではなく、インタビューなどで事あるごとに「キャプテンとして…」と真っ先に口にしていたように、チーム全体を引っ張り上げたことによる。この1年、日本新樹立などの実績面もさることながら、こういった面でも一回り成長したようにうかがえる。

しかし優勝タイムは1時間07分34秒。1区が順当に走っても歴代最高の1時間06分26秒(1996年埼玉栄)には及ばない。当時と比べると1区で39秒遅く、2区で17秒早く、3区で5秒遅く、4区で15秒遅く、5区で26秒遅い。この記録を破るには1区に小林を投入してスタートから全開で行っても届くかどうか。

男子は1区で仙台育英が28分31秒、世羅が28分39秒と昨年より悪いタイムにもかかわらず、後続の日本人は5kmを15分17秒くらいで通過という消極レースで30分を切ったのは1校のみ。駅伝は総合タイムを競うのだから、日本人1位にこだわっても仕方がない。優勝を目指す有力チームはとにかく順位よりタイム差。前をいく留学生が優勝候補の一角なのだからできるだけ離されないレースをしなければ1区にエースをおく意味がない。しかもその有力校は豊川工の12位、1分42秒差が最高、西脇工が1分46秒差の14位。佐久長聖に至っては2分36秒遅れの36位に沈んでしまい、早くも優勝戦線から脱落。

2区も仙台育英が快調にリードを広げ、2位世羅と18秒差。また例年と同じ展開か、と思ったところ、3区が思わぬブレーキで区間24位で逆に世羅に47秒差をつけられる。まあこの辺りはまだ想定内だろう。しかし4区で詰めるどころか逆に1分31秒差に開いてしまったのが誤算だった。もちろん区間賞で走った世羅の清谷の走りを褒めるべきだが。残り13kmで1分半の差はいくら力のある選手を残していても厳しい。仙台育英の焦りをよそに世羅は先頭を快調に走り、2時間03分18秒で1分07秒差をつけて優勝。仙台育英以外のチームでは97年の西脇工と並ぶタイム。

仙台育英の4連覇を阻んだのは高く評価できるが、やはり1区にケニア留学生を配しての勝利。勝つ可能性があったのは豊川工と佐久長聖だったが、豊川工は3区三田がベストの走りより1分遅かった(今年の調子から見て予想できたことだが)。佐久長聖は1区の出遅れがなければ他の選手ももう少し力を発揮できただろう。

世羅も外国人の力が大きいとはいえ、古豪の優勝は古くからの駅伝ファンにはたまらないだろう。何しろ32年前といえば私が中学校に入学して以来、28年も競技を続けている私にも記憶はない。ただ、その頃は優勝こそないもののまだ駅伝名門校として名を馳せており、私と同学年にも当時5000mで14分13秒9の高校新をマークした工藤康弘、当時1500mで3分47秒77の高校新をマークした中原誠の2枚看板がいた。今回6区、7区を走った中原兄弟は、ひょっとして中原誠氏のご子息、ということはないだろうか?

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コメント

世羅高校ファンです
あの人は今では無いですがマツダで走られていた中原誠氏と順天堂大学で助教授されていた工藤公康氏は今何されているんでしょう?

そうですね。私も同学年なので知りたいです。

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