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東京国際女子マラソン

2007年の世界選手権大阪大会の出場資格のかかった今大会。15kmを過ぎて尾崎(資生堂)が先頭集団から遅れ、予想通り日本人の1位争いは土佐礼子と高橋尚子の一騎打ちの展開に。折返し前で早くもペースメーカーのイワノワを含む3人に絞られる。イワノワが上手い走りで27kmまで引っ張ったが、向い風もあって徐々にペースダウン。雨が次第に強くなり、日比谷通りに入った後、31km地点で土佐が引き離しにかかると高橋があっけなく失速し、勝負はついた。しかし、土佐のペースも急落とは言わないまでもジリジリと低下。ぶっちぎりで優勝はしたものの、タイムは2時間26分15秒。世界選手権の内定は取れなかった。
先頭のラップは、5km16'30、10km33'16(16'46)、15km50'06(16'50)、20km67'01(16'55)、25km1:24'16(17'15)、30km1:41'48(17'32)、35km1:59'25(17'37)、40km2:18'03(18'38)、残り2.195kmが8'12。

2着には先頭集団から遅れながらも孤独にペースを守った尾崎が2時間28分51秒で入り、高橋はデビュー戦以来となる2時間30分超過、2時間31分22秒で3位に入るのがやっとだった。高橋は30kmまでは土佐とほぼ同タイムで進めたが、30km以降は、35km2:00'07(18'19)、40km2:21'30(21'23)、残り2.195kmが9'52と急激なペースダウン。一方尾崎は最後の2.195kmは8分01秒と土佐をも上回っていた。

レース前の話でも高橋が雨天のマラソン経験がなく、雨を嫌がっていた(デイリースポーツ記事参照)ように、走る前から勝負はついていたのかもしれない。土佐が手袋・アームウォーマーをし(靴下も履いていなかった?)、髪を束ね、サングラスも明るめにしていたのに対し、高橋はアームウォーマーなし、手袋はしていたが一旦脱いだ後チームメイトに投げてしまったこと、帽子をしていたのはよかったが、重さを感じたのか脱ぎ捨てたとき、長い髪を束ねていなかった(そもそも帽子も脱ぐべきではなかったと思う)こと、サングラスの色が濃すぎたことなど、終わってみれば色々なことが裏目に出ていた。

今大会のように気温が低く、更に降雨となると皮下脂肪が少ない方が不利となる。それは体脂肪が極端に少ない私自身、、唯2回のリタイヤが調子は悪くなかったにもかかわらず、いずれも雨天(霙)・低温で体が動かなくなったということからも実感している。それに加え、高橋のように走りが軽快で路面からの反発を十分に生かした走りの場合、シューズと靴下の重みの影響を受けやすい。路面に水がたまり出すと足の重みがスタミナを奪っていく。ペースが鈍ってくると体が冷え、ますますペースが落ちるという悪循環に陥ったと思われる。

敗因はいろいろあるだろうが、天候を味方にできなかったことの他に、練習方法が誤った方向に行っているのではないかという懸念がある。従来より更に高度を上げた海抜4300mでトレーニングしたというが、高度を上げればよいというものではあるまい。心肺機能は強くなるだろうが、実際のレースとかけはなれたスピードで練習するうち、地面からの反発を受ける筋力が低下してしまったのかもしれない。実際、今日のレースでも息苦しさは感じられなかったが、折返した直後あたりから腰が落ち、大腿部前面の筋肉が浮かび上がるようになっていた。地面を跳ね返せないからストライドに頼って足が流れ、ピッチが落ちる。

また、これは仮説であるが、あまりに平地とかけ離れた環境に、肉体年齢の加齢に拍車をかけている可能性がある。すでに34歳ではあるが、シドニーからの6年間で肉体的には6年を大きく超える負荷をかけてしまったのではないだろうか。もしこの仮説が正しいとすれば、高橋尚子はもう復活は難しいことになる。若くて経験の少ない「チームQ」陣営に少しでもこのようにいろいろな可能性やリスクを考え、方向修正を示唆できる人がいればいいのだが…。

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