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2007年01月31日

「あるある」大事件

発掘!あるある大辞典Ⅱの捏造問題が加熱している。まあ予想されたことだが、この手の問題が単なる「魔が差した」1回限りの事象とは当然思えない。事件の当事者たちは原因を究明することが責任と思っている節があるが、本当にやらなければならないのは、間違った情報を正すこと。過去に放映したテーマのうち、どれが正しくて、どれがどのように捻じ曲げられたのかというのを明らかにすることだ。

とにかく過去の番組1回1回を全て検証し、事実が判明したものから順次番組ホームページに公表すること。全て終わったところで発行済みの書籍をすべて回収し、引換えに正しい情報を記載した本を配るくらいの姿勢を見せてほしいものだ(その本にプレミアがついてしまいそうなのが心配ではあるが)。

2007年01月30日

心拍数が30回台に復帰

ジョギングに毛の生えた程度しか走っていないのだが、週60~70kmほど走れるようになり、心肺機能も回復してきた。安静時の心拍数も今月初めは50近くだったのが、昨日久しぶりに40を切り、38回/分を記録した。冬はもともと低めに出る傾向ではあるが、ベストでも34回なので、40回を切っていればそこそこの走力は維持できていると思われる。

2007年01月28日

大阪国際女子マラソン

原裕美子が2時間23分48秒の自己ベストで優勝、大阪世界選手権の代表内定第1号となった。

序盤から渋井陽子と原のマッチレースとなった。ペースメーカーは5km過ぎで早くも脱落。東京のペースメーカーと比べると大きなハンディだ。女子のペースメーカーはまだまだ当たり外れが大きい。レース前半は原の方が無理して着いている感じもなきにしもあらずだったが、御堂筋の折返しを過ぎて原が渋井の横に並ぶようになってからはむしろ原の方が既に精神的に優位に立っていたかもしれない。

そして大阪城内あたりで渋井の頭が振れ出したのに気付いた。これはもしかしてかなりきつくなっているんじゃないかと思った瞬間、CM挿入。CMが終わったらもう20~30m離れていた。多くの視聴者は一体何があったのか?と思ったかもしれないが、個人的には事前に異常を察知していたので、ああやっぱり、という感じ。30kmの通過は原と渋井は10秒差だったが、3位争いの小崎と加納との差が開いていなかったので、渋井が捉えられるのは時間の問題、原はハイペースのつけが回ってくるのかどうかが焦点となった。

原、小崎ともブランクがあり、加納は初マラソン。ちょっと予想がつかなくなってきた。原はペースダウンしながらもなんとか3分35秒以内には収めているので、タイム差から見て残り5kmのところで逃げ切りは濃厚となったが、小崎と加納がどこまで追い込んでくるのか。後からわかったが、原のペースダウンは風の影響があったようだ。だとすると小崎と加納の追い込みはなかなかのもの。結局小崎もわずかずつ詰めたものの、残り距離が少なくなるにつれ、先頭を追うよりも2位確保に意識が移ったようだ。35kmで加納に14秒つけていた差がゴールでは4秒差の2時間24分39秒。2位だが世界選手権代表の可能性は十分にある。

3位ながら加納の初マラソン2時間24分43秒は高く評価できる。走りも疲労がたまりにくいマラソン向き。小崎や加納と同じ集団で走っていた選手のその後の様子は全く紹介されず、終盤の長居公園内ではサイドカーが原に接近しすぎて原が嫌がる場面もあるなど、中継はちょっとお粗末。サミトワは遅れ加減だったが、スズキ所属のワゴイには一体何があったのか(公式記録では25kmまでしか残っていない)。

2007年01月27日

本格的に内装工事に着手

完成予定まであと約1ヵ月となりました。先週床の下地となる板を張っていましたが、今日見たらフローリングを張る作業中でした。フローリングは明るめの色にしました。試しに少し跳びはねてみましたが、振動もなく丈夫そうです。

手前、向う側とも子供部屋で、クローゼットで部屋を仕切ります。スチール製の柱で壁をつくっていきます。


1階のもう一つの洋室の窓です。この部屋だけは遮音性をより高めるため、窓を二重にしました。

2007年01月21日

全国都道府県対抗男子駅伝

3区で5000m日本歴代3位の竹沢(早大)を配して先頭に踊り出た兵庫が4区中山(須磨学園)で独走状態となり、そのまま首位をキープ。アンカー北村(日体大)は1分11秒の大差をもらって悠々逃げ切った。

優勝争いより厳しい戦いだったのは3位~8位争い。一時は6人が団子状態となり、最終的にも12秒の中に6チームが入った。ここで憂き目を見たのが大分と栃木。大分は6区まで2位に着けながら7区で12位に転落。栃木も4位から16位に転落。一方で佐賀は13位から一気に3位、長崎は11位から4位へ。確かに6区まで混戦ではあったが、それまでの6区間は一体なんだったのかと思いたくなる。

女子駅伝も同様であるが、区間配分の問題が大きい。最終区間が全体の27%も占めており、しかもチーム間のレベル差の大きい一般区間。大分は6区までで区間順位トップ10以内が5区間あるが、佐賀は2区間しかない。特に中学生区間は2区間とも区間34位。大分は7区が区間39位に沈んだとはいえ、やりきれないだろう。

区間配分は中学生が2区間6km(12.5%)、高校生が3区間20.5km(42.7%)、一般が2区間21.5km(44.8%)。地元色を出し、チーム間の均衡を図るためにも一般区間はもっと距離を短くすべきだし、中学生の強いチームにもチャンスがあるべきだと思う。中学生は女子でも3kmを走るのだから3kmにこだわる必要はない。例えば中学生を3区間10.5km(4km、3.5km、3km)、高校生は変わらず、一般を17.5km(10km、7km)とすれば今よりずっとバランスが良くなる。

第1中継所で押しくらまんじゅう状態になるのもなんとかすべき。高校生の8.5km区間と逆にした方が良いし、多少距離が地半端になっても、もっと広い場所に中継所を移せないものだろうか。2区も3kmなのであまり差はつかず、第2中継所では郷土静岡チームが見失って順位を落としてしまったのは残念だった。

玄関・窓取付けなど


ご覧のとおり、玄関と窓が取り付けられました。施錠されているので、これからは工事のある日しか中に入ることができなくなります。
また、外壁工事の準備のため、断熱材のうえに防水性、結露から守る透湿性を有する保護シートが貼られました。


1階の室内です。床に板を張っているところでした。いよいよ室内工事に取り掛かりました。


2階です。今回は窓越しにしか見られませんでしたが、梁を支えていた最後の支柱も撤去されていました。1階と同じように床に板が張られていました。また、すでに浴室が設置されています。

往復通勤ラン再開

半月板の痛みが再発してからは、通勤ランは片道のみに制限していましたが、1月12日より往復ランを再開しました。一度に長い距離を走って膝に負担をかけることがない反面、膝を休ませる時間が短くなってしまうことでやや不安でしたが、なんとか薬に頼らずとも痛みは治まっています。

土日は少し長めに、11.5kmほどの距離を約50分。キロ4分位まで上げてもジョギングに感じられるようになったので、感覚的には約1ヶ月間のブランクは取り戻せたようです。しかし走り始めにごくわずかに膝が痛むことと、時々膝が引っかかる感じが治らないので、このまま様子見です。暖冬とはいえまだまだ寒いので、例年よりは厚着にしています。

2007年01月14日

全国都道府県対抗女子駅伝

京都が2時間17分03秒で3年連続11回目の優勝。岡山、兵庫が11秒差、更に12秒遅れて宮崎。特に最終区で京都、岡山、兵庫が全く並ぶというのはレース展開はなかなか面白い。だがトップと28秒差ながら一旦は先頭に並んだ兵庫のアンカー勝又は静岡出身。兵庫には高校(須磨学園)時代の3年間いただけであり、しかも昨年は静岡から出ているので何か違和感がある。

2時間17分というタイムは16年も前にマークされたタイムであり、そこから女子中長距離は飛躍的に伸びているはずなのだが、各チームともふるさと選手の使い方もまちまちだし、県をあげて最強チームをつくろうという雰囲気はもはやなく、選手の方も京都の早狩選手(19年連続出場)というように、地元に恩返しという気持ちを持ち続けている選手は例外的なので、大会のレベル的としてはそれほど上がっていない。

力が入らないのは、区間配分が問題なのだと思う。9区間中、大学生・実業団は最大4人使える。この4人で最大24km(全体の57%)も占めているのだから、中高生がどんなに頑張っても簡単にひっくり返されてしまう。特に9区の10kmは異常だ。他の8区間は平均約4kmなのに、この区間だけ突出している。そこで地元チームのエースとして走ってもらいたい選手が他チームで活躍しているのを目の当たりにすると、大会のステータスが落ちるのは当然かもしれない。

最長区間は最高でも他の区間の平均の2倍を上回らないように設定すると8.4kmが上限なので、8kmとする。中高生は1区間ずつ増やすと一般選手は2区間となり、最長でも合計14km。中学生3km×3人、高校生4人、一般2名ならばバランスが良くなる。中高生1区間の代わりにシニア区間というのを設定するのも往年の名選手が出てきたりして面白いかもしれないし、普段チームとなかなか共にしない一般選手の代わりにチームをまとめてくれる効果もある。

玄関・窓サッシ据付


あまり変わっていないように見えますが、よく見ると玄関と窓にサッシが据付けられています。玄関の上の庇も型枠が外されてすっきりしました。


中を見てみます。まずは1階から。窓を室内から見るとこんな感じです。外壁が分厚い鉄筋コンクリートのため、全ての窓はこのように出窓状になっています。1階は掃出し窓以外は防犯のため、面格子を設置しています。


1階は支柱が完全に撤去され、すっきりしました。梁の部分の型枠も外されました。


2階に上がってみます。2階も梁の部分の支柱を除き、支柱が外されたので、広くなった感じがします。


小窓は既に取り付けられています。写真は左が浴室、右が洗面室の窓です。


台所の勝手口にも既にドアが取り付けられていました。勝手口のドアは採風式になっていて、上下にスライドします(写真は開いた状態)。

2007年01月08日

建具・電源等の打合せ

着工後では2回目の詳細打合せがありました。
まず前回ペンディングとなっていた外壁を決定。次に室内の戸・扉、玄関収納はあらかじめカタログで選んでおいたもので決定。床のフローリングの色も決定。

そして電灯およびスイッチの位置、コンセント・TVアンテナ引込み口・LANの配管位置等を決めました。これもあらかじめ考えておいたのですが、設置できない位置があったり、話をしているうちに考えが変わったりして少し難航。なんとかまとまりました。クローゼット内の造りつけの棚の高さや洋服掛け用のパイプ設置有無等もほぼ確定しました。

次に内壁と天井の壁紙、洗面室やトイレなどクッションフロアー部分を決めるのですが、これはまだ次の段階ということで持ち帰り検討としました。

建物の方は年末と大差ない状況ですが、今週に入って浴室工事、サッシの据付け等を行なうようです。

膝が徐々に安定

右膝半月板の痛みが再発してから約1ヵ月の完全休止を経て、スロージョグを始めて約1ヵ月。このところ膝の状態が安定してきました。当初キロ5分以上かけて5kmで膝が悲鳴をあげそうになっていたのが、最近はキロ4分半で9km走っても問題ない。走り始めに少し痛みを感じていたのも徐々になくなってきています。

ここで調子に乗ると元の木阿弥になるので、「行ける!」と感じても決して急激には負荷をかけないように気をつけなければ。まだ時々膝が引っかかる感じがあるし、気を抜けません。2~3月はあえて誘惑(レース)は入れませんでした。

2007年01月07日

「コレステロールに薬はいらない!」(角川書店)


私自身、コレステロールは高めでほぼ220~240を推移している。高脂血症と診断されるのだが、今までも常々ランナーにとってはコレステロールが高めで問題ないというのが持論だった。本書はランナーに限らず、一般的にもコレステロールは通常の基準値(220以下)よりも高い240~260が最も健康的と結論付けている。

コレステロールが高いと心筋梗塞になりやすいと言われており、それは確かにそうなのだが、そもそも日本人の死亡要因はがんが最も高く、心筋梗塞の割合が少ないため、その心筋梗塞誘発率が多少上がったところで大きな影響はない。むしろコレステロールが低くなるほどがんになり、死亡率は高まることの方がよほど問題であるとのこと。

コレステロールは各種ホルモンの原料となるため、これを低下させることはストレスに弱くなったり感染症にも弱くなる。かぜをひきやすい人はコレステロール値が低すぎないか疑ってみたほうがいいかもしれない。ちなみに私はここ20年以上インフルエンザの予防接種も打っていないが、インフルエンザに感染したことはない。

ランナーにとっては、コレステロール低下剤は致命的である。ブドウ糖や脂肪酸からコレステロールを作り出す過程で、必要なプロセスをコレステロール低下剤で遮断するしくみである。しかし、そのプロセスではコレステロールと同時にエネルギーを生み出すために必要な補酵素、コエンザイムQも生産される。したがって、コレステロールの生産が抑制される代わりにエネルギーも生産されない。

持論が間違っていなかったことを確信できた一冊だった。

2007年01月03日

2007年の目標

今年の目標といっても、治るかどうかさえわからない右膝。半月板は自然には絶対回復しないのです!
5年前に一部切除して以降の半月板は、うまい具合に擦れない状態になるとほとんど痛まず、ここ3年半ほどはその状態が持続していましたが、昨年の11月7日に再発。3年半~4年前にちょっとでも走ると翌日痛くて痛み止めを飲まなくては歩くのにも支障を来たす状態よりはずっとましなので、細々と軽い練習を続けて痛みが治まるのを待つしかありません。

というわけで、今の段階で具体的な目標は立てられませんが、膝の痛みがなくなったらという前提で、今年は練習量を確保するためにある秘策を考えています。練習スタイルも大きく変わってくるし、年齢と共に衰えてきた筋力も再強化したいと思います。まずは膝を治すこと。

2007箱根駅伝復路

近年は優勝争いよりもシード権争いの方が加熱してきている。数ある駅伝の中で箱根駅伝が最も人気がある理由はシード権にあるといっても過言ではない。7区終了時点では15位までのチームは次の区間で一気にシード圏内に浮上する可能性があった。9区まで6位の早大あたりでも10区で少しでも異変があればシード落ちという接戦。

それだけ下位校のレベルが上がっている、と考えるのは早計かもしれない。優勝タイムは昨年より3分57秒早いが、10位のタイムは3分14秒遅い。気象条件により一概にタイムの比較はできないが、気象条件で言えば今年はまずまずのはず。しかし昨年11位の城西大のタイム11時間16分10秒は今年なら4位に相当する。昨年10秒差で泣き、その悔しさをバネに力をつけたはずの城西大でも4分40秒も低下している。昨年よりタイムを上げているのは順大、日大、東海大、早大、専大、中央学大の6校。トラックや予選会のタイムが落ちているわけではないので、独りでも走れる選手が育っていないということだろう。

少子化の影響で徐々に選手が集めにくくなっているのかもしれない。特に近年駅伝に力を入れ始めた学校は、一時的に選手を集めて強くなっても長続きしない。今回出場校の中では駒大、亜大、山梨学大や神奈川大が昨年・一昨年あたりから比べて大きく順位を下げ、関東学院大、帝京大、拓大、平成国際大などは出場すらできていない。

一方、今回上位校の順大、日大、東海大、日体大、東洋大、早大はいずれも駅伝だけでなくすべての“Track&Field”に力を入れてきた学校。付け焼刃で駅伝だけ力を入れ、引退した著名選手を監督として招へいしても、知名度が使えるのは数年間だけで、有望選手をいつまでも囲い込むことはできない。そういった意味では批判の多いインカレポイント制は将来を危惧した先見性の高い策と言えるのかもしれない。そしてこのまま少子化が続けば、いつの日か古豪の筑波大、慶大、立大あたりが復活する日がくるのかも。もっともその頃は今のようには加熱していないかもしれないが。

2007年01月02日

2007箱根駅伝往路(2)

往路はオールドファンには面白い内容だったのではないだろうか。ブレーキのあった中大などを除き、伝統校が上位を走っていた。11位明大までのうち新興勢力は7位中央学大、9位山梨学大(21回目の出場で新興勢力とも言えなくなってきたが)のみ。

往路に限っては東海大逃げ切り困難という予想が当たってしまったが、これは3区と5区の出来が悪すぎたことも一因。復路は駒不足か。6区で波に乗らないとズルズルと後退してしまう。

以下、学校別にコメント。

順大はやはり松岡が本調子ではなかったが、3区区間4位となんとかまとめた。2区終了時点で6分36秒差は絶望的にも思えたが、3区で4分37秒差。4区は佐藤秀和。区間賞とはいえ、あまり走力のない走者が集まる区間で本来の走りにはまだ程遠いのだが、4分09秒差まで詰めた。5区今井は区間2位を2分34秒離す実力どおりの走りだったが、3回の山登りで最も会心の走りは距離が長くなる前の2005年、1時間09分12秒ではないだろうか。往路でサブを3人使ってしまったので、復路に使えるのは1名のみだが、復路も力どおり走れば十分逃げ切れる。

日体大は1区を無難に走ったことに尽きる。しかし北村以外に5区を走れる人材がいればもっと北村を生かせるのにもったいない。北村はどうみても登りの適性はないのに走力だけで何とか走っている。復路は良くも悪くも鷲見がカギ。

早大は2区竹澤がモグスに抜かれたときも一瞬ついてスピードを測り、オーバーペースと判断して冷静に対応した。1時間07分46秒はまだまだ物足りないが、今の走法はまだロードに適応していないから好走と言えるのでは。渡辺監督は鬼門の5、6区は十分に適性を見たというが、予選会校内トップの駒野をして区間8位。まだまだ眼力が足りない。復路も6区がポイント。サブの宮城が7区か10区に入ってくると予想され、ブレーキがなければ上位争いに踏みとどまれそう。

日大は大した計算違いはなく区間2位も2人いるのに5位に留まった。2区までもう少しいい位置でつけたかった。

中央学院大は2区木原が区間7位にとどまってどうなることかと思ったが、他の4人がよくカバーした。11位とは2分23秒差なのでまだシード権安泰とは言えない。6~7区でシード権ラインからいかに逃げるか。

駒大は全く予想外の7位だった。2区宇賀地の区間13位は確かに誤算だが、それよりも2区にエントリーしていた安西が走れなかった方が誤算だろう。心配の種の4区高井がそこそこ走れたのが救い。復路にも強力な走者を残しているとはいえ、シード落ちもあり得るこの順位で冷静に走れるか。

専大は大健闘の往路8位だったが、復路は未知数。11位とはわずか38秒差。

山梨学院大はモグスの独り相撲が台無しにしてしまった。思わぬ失速に3区が焦ってしまうという負の連鎖。なんとか5区で持ち直したが、復路はかなりの苦戦を強いられるだろう。モグスを焦らせたのは1区東海大・佐藤がつけた大差だろう。しかし5km13分30秒、10km27分22秒(距離が不正確なので当てにはならないが)ではベケレでも最後までもつまい。無謀としか言いようがない。ラスト1kmは4分30秒かかっていた。

東洋大は4区までよくつないだのに5区の区間17位が痛い。この区間は同じ区間順位でも大差がついてしまう。ちなみにほぼ同じ距離の2区でも区間1位と17位は3分06秒、5区ではなんと8分25秒。平地の2区間以上の差がついてしまうことをもっと認識しなければならない。

明大の11位は大健闘。古豪の健闘に特に箱根山中の沿道は沸いたことだろう。5区尾籠の区間2位が光る。6区にエントリーした中村(静岡・藤枝東高出)の快走を期待したい。

亜大は13位だったが、そもそも昨年は他校が崩れてぼた餅的優勝であり、実力的には4~5位と思っていた。2区山下が区間16位に沈んだがそれでも大ブレーキと言うほどでもなく、まだ悲観するような差ではない。

中大は1、2区の力不足は予想されたことだし、3区上野が(区間賞とはいえ)他を圧倒するほどではないのも折込済み。4区の区間20位は一体何があったのか。それでもまだ10位と1分01秒差。亜大と中大がシード圏内に上がってくるとすると、はじき出されるのはどこか。12位城西大もまだシード権に食い込む力はある。専大、中央学院大、山梨学院大あたりは厳しい戦いを強いられる。

2007箱根駅伝往路(1)

細部を見ていくと展開はだいぶ違うが、大筋で結構予想が当たってしまった。大体予想というのは外れるものだが…

東海大の逃げ切りは難しいと予想していたが、1区はまさに東海大の思うつぼだった。まさか4分も離れるとは。たぶん監督・コーチからは「東海大は追うな。集団で行って六郷橋から勝負だ」などと指示が出ていたのだろうが、指示がなくても危険を察知して追わなければ。3位以下の超スローペースで助かったのは2位を守った東洋大とブレーキ寸前だった順大中村。

東海大佐藤は61分06秒で早大・渡辺の持つ区間記録を7秒更新。13km付近から痙攣しかかっていたというのにこのタイムとは恐ろしい。ちなみに過去に2位を1分以上離したケースをさかのぼってみると、ほとんどが戦前。今回の4分01秒より大きいのは戦後の混乱期の47年(4分27秒)、黎明期の第3回、22年(4分31秒)の2回のみ。
以下1区1分以上差リスト。

00年法政・徳本1分05秒
95年山学大・中村1分24秒
83年東洋大・佐藤1分03秒
77年日体大・石井1分22秒
75年筑波大・片山1分12秒
73年東洋大・松田1分31秒
66年国士大・井上1分21秒
51年中大・浅井1分54秒
49年明大・島村1分47秒
48年中大・浅倉2分25秒
47年早大・後藤4分27秒
43年立大・伊藤1分25秒
40年日大・郷野1分15秒
38年文理科大(現筑波大)・常松2分20秒
37年日大・村上2分35秒
35年早大・中村(清)1分43秒
33年早大・朝倉1分10秒
32年中大・佐藤1分21秒
29年東京高師(現筑波大)・横川2分11秒
27年明大・窪田1分54秒
26年東大農学実科(現東京農工大)・藤巻2分32秒
23年東京高師・畠山2分53秒
22年東京高師・畠山4分31秒
21年早大・河野(謙三)2分46秒
20年東京高師・山下3分00秒

2007年01月01日

ニューイヤー駅伝

今日から3日間は駅伝三昧。まず元日は男子の全日本実業団駅伝。
まず1区はビルドアップのように徐々にペースが上がり、抜け出したのはスズキのエース、マサシ。しかしエースが1区ではジリ貧となるのは目に見えている。日本人トップの松宮(コニカミノルタ)と35秒差しかつけられなかったのは本来の走りではなかったということだろう。

最長22kmの2区を制したのは秋葉(小森コーポレーション)。ほぼ独走状態で油谷(中国電力)、徳本(日清食品)、岩佐(大塚製薬)といった他チームのエースを30秒近く離した走りは将来が楽しみ。油谷もしばらく見ていなかったが全盛時と遜色ない走り。徳本はマラソン初挑戦らしいが、今日の調子云々ではなく、まだマラソンの走りにはほど遠いように見える。

3区は日清食品にゲディオンが登場。11.8kmを30分43秒。10km換算26分01秒はいくら何でもあり得ない。実際には11.8kmよりもかなり短いと思われる。日本人最高の岩井(旭化成)が32分22秒(10km換算27分25秒)であることからも明らか。距離計測がいい加減だとせっかくの好記録も興ざめ。この時点で日清食品が完全に独走となり、このまま逃切り濃厚と思われた。

要所の5区で日清食品は大島を起用したがこれが区間22位の大誤算。一方、逆転を狙う中国電力は佐藤が区間2位の坪田(コニカミノルタ)をも1分12秒も上回る激走で一気に逆転。日清食品の優勝はこの時点でリードしていなければ難しかった。それにしても佐藤は駅伝になると滅法強い。フォームがどうこうではなく、マラソン向きの身体ではないのかもしれない。

結局6区は他チームも駒の関係で圧倒的な力を持つ選手の起用はなく、中国電力との差は詰まらず、7区尾方が楽々逃げ切った。旭化成が2位に入り、一時の低迷をようやく脱しつつある。まだ小島兄弟に続くマラソンランナーは出てきていないが、近いうちにマラソンでも台頭してきそうだ。3位日清食品、4位コニカミノルタは順当としても、5位トヨタ紡織、6位大塚製薬、7位安川電機、8位日産自動車は大健闘。

しかし、これが実業団チームの真の実力を表しているわけではない。マラソンシーズンの合間に行なわれる大会という性格上、マラソンに力を入れていないチームが有利なのは否めない。2位に入った旭化成にしても、今はマラソンで世界を狙える選手がいないから駅伝に専念できるだけかもしれない。日清食品もマラソンで通用するランナーは諏訪しかいない。そういう意味では中国電力の強さは圧倒的だ。6位の大塚製薬も中国電力より小粒ながらスタンスは似ている。駅伝が最大のイベントの学生とは立場が違うということをもう少し認識しなければ男子マラソンの復活は遠い。

2007年初走り

年が明けて初走り!と思ったのですが、ニューイヤー駅伝を見ているうち終盤で中国電力の独走状態になってからは眠くなってしまい、ゴール後ついに耐え切れず一眠り…。1時間ほど眠ってしまったでしょうか、目が覚めてから走りに出かけました。

11月7日に右膝半月板の痛みが再発して以来、約1ヵ月は日常生活中も階段を下りるときなど痛む状態だったので全く走らず、12月に入ってから恐る恐る始めました。12月はほぼ2日に1回のペース、1回当たり最長でも35分、キロ4分半以上を守りました。このくらいなら痛み止めを飲まなくても翌日なんともないというレベルです。

まだまだ思い切り走れるまでにはほど遠い状態ですが、まだ時々半月板損傷特有の引っかかる感覚があるので、とにかく完全に痛みがなくなるまでは抑えながら走ります。